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♪コンサートレポート

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畑 儀文《シューベルト歌曲弾き歌い》Vol.7 歌曲集『美しき水車屋の娘』

2023年09月01日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」D795(全20曲)

畑儀文氏が弾き歌いの伴侶に選んだのは、前回の『冬の旅』に続き、ヴィーンの楽器職人アントン・ヴァルターが1810年頃に製作したピアノフォルテのレプリカである。音域は5オクターヴ余りしかなく、今日のグランドピアノより2オクターヴも狭い。この曲のピアノパートが中低音域に偏っているのも、当時シューベルトがこのような楽器を使っていたためだろうと想像がつく。その音色には古拙ともいうべき趣きがある。
今年は『美しき水車小屋の娘』が作曲されてからちょうど200年目にあたる。1823年はシューベルトにとって「危機の年」であり、5年後の死の遠因となる重病を発したのみならず、創作上の重大な危機があり、有名な「未完成交響曲」をはじめ、多くの作品が未完に終わっている。そのような時期のシューベルトの心情はどのようなものであったろうか、畑氏はそこに思いを致したに違いない。当時の素朴で古風なピアノの音色と、柔和で甘美な畑氏の声音とが見事に調和しており、その声音の美しさは以前にも増してやさしい輝きを増している。シューベルティアーデのような親密な集いでシューベルト自身が仲間に歌って聴かせたであろうその情景が、目に浮かぶようだ。
コロナ禍での雌伏の時期に、独りピアノに向かってひたすら歌の研鑽を積んだという畑氏は、「シューベルトのおかげでここまでやってこられた」としみじみ語る。敬愛し私淑する偉大な楽聖への思いが込められた一言だ。(音楽ライター 北川順一)

金澤俊江ピアノリサイタル

2023年08月13日(日) 14:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80、ソナタ第14番嬰ハ短調op.27-2「月光」
シューマン:交響的練習曲op.13

金澤俊江氏の身上は「マルカート」ということかもしれない。明快なタッチで個々の音をはっきりと表現し、主旋律と対旋律をうまく対比させることで、曲のテクスチュアを明確にしていく。かつて米国で二度のリサイタルを行い、明快さが尊ばれる音楽風土の中で培われてきた氏独自の音楽観があるのだろう。氏は今回、あまりに有名な『月光』を挟んで変奏曲を置くという、アカデミックなプログラムを用意してきた。ベートーヴェンの変奏曲は、そんな金澤氏のスタイルが最大限に発揮された演奏だった。8小節の短い主題が32回にわたって変奏されるもので、主旋律が左手と右手に交互に移っていくような構成になっており、それを生気溢れる演奏で丁寧に解き明かしていく。『月光』は決して叙景的ではなく、とても重厚感ある演奏であり、その背後には恋の苦衷、別離、そして生への決意という作曲者の当時の心情が映し出されているかのようだ。同様にシューマンでもあくまで力強く迫る。とりわけ印象的だったのは、全ての変奏の方向性を決定づける推進力に満ちた第1エチュードと、ヴァイオリンを模した右手の技巧的な動きをあえて抑え、左手の主旋律を巧みに浮き上がらせた第3エチュードだ。いささか夢幻的な第11エチュードを経て、最後の長調では歓喜の凱歌を高らかに奏でる。明快で決然としたピアニズムが心地よい疲労感と共に深く心に刻まれた、灼熱の真夏の一夜であった。
(音楽ライター:北川順一)

八幡順 モーツァルト:ヴァイオリンソナタ全曲演奏会シリーズ

2023年05月27日(土) 16:00 青山音楽記念館バロックザール

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ変ロ長調K.570(原曲:ピアノソナタ第18番変ロ長調K.570)
ヴァイオリンソナタ(第40番)変ロ長調K.454
ヴァイオリンソナタ(第42番)イ長調K.526

【出演】ヴァイオリン:八幡 順 ピアノ:本村 陽子

八幡 順氏のヴァイオリンは、柔和でヴェールを纏ったような美感を持つ音色が最大の特徴だ。梅雨入りを待つこの日のやや湿潤な空気が、そんな八幡氏の音色をいっそうやさしく包み込む。
K.570のソナタのピアノパートは、なんと原曲のピアノソナタのそれと全く同じである。そこに新たにヴァイオリンパートを付け加えるというのは、いささか「蛇足」の感がある。だがこれによって、初期の「ヴァイオリン付きのピアノソナタ」がいかにして作曲されたかがわかるのだ。主体はあくまでピアノであり、その上にヴァイオリンが華やかな装飾を施していく。本村陽子氏のピアノは軽快で明瞭なタッチ、時代様式に則った明快な造形力を持ち、まことにモーツァルト演奏にふさわしい。そして八幡氏は、ピアノの領域を決して侵さぬよう、控えめなヴァイオリンの音をそっと添えていく。まさに絶妙の「音のトッピング」である。お互いに程よい配慮があって、とても気持ちのよい二重奏だ。
次のK.454の変ロ長調ソナタでも、合奏の妙味を旨とする八幡氏の姿勢は変わらない。しかし、ヴァイオリンにはピアノパートと有機的に結びついているフレーズが多く、八幡氏は巧みに少しずつ自分の音楽を主張していく。
そして、『クロイツェル』の先駆けともいえるK.526のイ長調ソナタに至って両者の役割はほぼ対等となり、モーツァルトがこのジャンルにおける完成形に近づいたことがよくわかる。二人の演奏はますます鮮やかに冴えわたり、フィナーレでは息をもつかせぬ緊迫のクライマックスを迎える。(音楽ライター:北川順一)

添田ゆみピアノリサイタル《詩的に・・・ 情熱的に・・・》

2023年05月12日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

スカルラッティ:ソナタハ長調K.159、ハ短調K.11
ブラームス: 6つの小品op.118
リスト:『巡礼の年』第2年補遺「ヴェネチアとナポリ」より 第3曲タランテラ
ドビュッシー:「前奏曲集」より アナカプリの丘、亜麻色の髪の乙女、ミンストレル、ヒースの荒野、奇人ラヴィ―ヌ将軍、花火
ショパン:12のエチュードop.25より 第1番変イ長調「エオリアン・ハープ」 、ポロネーズ第6番変イ長調op.53『英雄』

添田ゆみは、作品における様式観を何よりも大切にするピアニストだ。時代様式という則を決して踏み越えず、過剰な思い入れも一切排除して、あくまで虚心坦懐、冷静沈着に楽譜に取り組む。しかしその演奏は実に感興豊かで、終始音楽することの喜びに満ちている。
スカルラッティは、簡明な和声で立体的に構成された音の館に、近代的で洗練された彩色を施しているかのようだ。ブラームスでは、あるときはゆらゆらとそよ風に乗って、またあるときはしっかりと大地を踏みしめて歩くように、作曲者の内面を散策する。枯淡の境地と評される晩年のブラームスは、これほどの情熱を内に秘め、豊饒な色彩感覚に溢れていたのか、とあらためて驚く。リストのタランテラでは、超絶技巧をそれとわからぬようにきわめて美しく巧みに仕上げてみせる。ドビュッシーでは「ミンストレル」と「奇人ラヴィーヌ将軍」がとりわけ出色で、道化の危なっかしい動きを実にユーモラスに演出する。そこに作為の痕跡は全く見られず、あくまで自然な表現に徹する。そしてショパンでも、ことさら英雄的であろうとはせずに、力強く正確なタッチで寸分たがわず勘所を射抜く。過剰に没入した演奏ではないからこそ、これまで意識していなかったこの曲の魅力に気づかされる。
いずれの演奏も、あくまで楽譜に忠実であり作曲者に奉仕する演奏であった。そしてそこには、紛れもなく演奏家添田ゆみ氏の個性がはっきりと表れていた。(音楽ライター:北川順一)

轟木裕子ピアノリサイタル

2023年04月02日(日) 14:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

ハイドン:ピアノソナタハ長調Hob. XVI:50
ベートーヴェン:ピアノソナタ第17番ニ短調op.31-2
ショパン:ノクターン嬰ハ短調op.27-1、変ニ長調op.27-2、ハ短調op.48-1、舟歌嬰ヘ長調op.60、幻想ポロネーズ変イ長調op.61

轟木裕子氏は柔らかいタッチの持ち主だ。前半のハイドンとベートーヴェンでは、古典派の演奏様式に忠実に守る。ハイドンは非常に端正であり、細部に溺れない演奏だ。劇的に盛り上げられることの多い『あらし』だが、轟木氏の演奏はそうした大言壮語とは無縁である。これは現実の暴風雨ではなく、復讐心と慈悲心の間で揺れ動く主人公の葛藤の様相なのだと考えているからであろう。この2曲では、細部への丁寧な気配りが行き届いていることに加えて、テンポどりの正確さが際立っている。
後半のショパンでは演奏スタイルががらりと変わる。それは「呻吟するショパン」とでもいうべきものであろう。まず3つのノクターンだが、いささか茫洋とした性格の調性である嬰ハ短調、変ニ長調の2曲に続くのは、苦悩を直截的に表現するハ短調である。こうして、若いころの漠然とした不安が後年になって明確な苦衷となって現れる様子を描き出す。
『舟歌』には静かな力強さがある。自分は決して病魔の苦痛に絶望しているのではない、回復したらまた沖へ漕ぎ出そう、と思っているかのようだ。
そして『幻想ポロネーズ』では、和音一つ一つが噛みしめるように奏でられる。時折聞こえるポロネーズのリズムも、ショパンの苦悩を反映するかのように重苦しい。ポロネーズという様式を通じてショパンは何を表現しようとしたのか、それを問いかけるような演奏である。こうして轟木裕子氏は、敬愛するショパンの内面に迫っていくのだ。(音楽ライター:北川順一)

畑儀文シューベルト歌曲弾き歌い Vol. 5 歌曲集『美しき水車屋の娘』

2022年05月10日(火) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

シューベルト:『美しき水車小屋の娘』D795(全曲)

畑 儀文氏の弾き歌いシリーズの第5弾は、『冬の旅』に続いて連作歌曲集『美しき水車小屋の娘』である。ピアノと歌唱を一人二役でこなすという例は、古今東西あまり例がないという。そもそもこの曲のピアノパートはかなり難しい。そしてやはり歌とピアノが役割分担していてこそ、芸術歌曲にふさわしい高い完成度が得られるということだろうか。幾多の名ピアニストと共演し、数多の名演を実現してきた畑氏自身、そのことに思い至らなかったはずはない。そんな氏が今回あえて一人二役に挑んだのは、それによってシューベルトの心により近づきかったからでないか。『冬の旅』を完成させたシューベルトが、さっそく親しい友人たちに弾き歌って聴かせた話は有名である。『美しき水車小屋の娘』でも同じことがあったのは想像に難くない。シューベルトは、ヴィルヘルム・ミュラーの原詩のロマン主義的アイロニーが含まれた箇所をばっさりと切り捨て、純粋な悲恋の物語として作曲した。あるいは、ついぞ叶うことのなかった自身の恋を投影させたのかもしれない。そしてある時はピアノに向かい、ある時はギターを爪弾いてこの連作歌曲集を仕上げた。そんなシューベルトの心をわが心とするために、畑氏はあえて弾き歌いというな至難の業に挑んだのである。畑氏の甘く美しい柔和な声は、永遠の青年ともいうべき若やぎに満ちており、色彩豊かな風景が次々に繰り広げられるこの曲集に、まことにふさわしい。そして、同じメロディーが繰り返される有節歌曲が多いこの曲集で、歌詞に応じて微妙なニュアンスをこの上なく繊細に表現している。とりわけ印象的だったのは「朝のあいさつ」「水車小屋の花」「涙の雨」だ。最後の「小川の子守歌」では、若者を見守る小川そのものであるかのように、やさしい声音でこの悲しい物語を美しく結ぶ。(音楽ライター:北川順一)

鳥居知行ピアノリサイタル~ブラームスの夕べ~

2021年10月29日(金) 19:00 住友生命いずみホール

ブラームス:自作主題による変奏曲ニ長調op.21-1、ピアノソナタ第2番嬰へ短調op.2、8つの小品op.76、パガニーニの主題による変奏曲イ短調op.35
(アンコール)
ブラームス:間奏曲イ長調op.118-2

待ちに待った本格派ならではのリサイタル、鳥居知行氏のブラームスの夕べである。冒頭のニ長調の変奏曲では、流れゆく景色を愛でつつ田園を散策するような懐かしい感情が、磨き抜かれた美しい音色で奏でられる。続く嬰へ短調のソナタでは、要求される超絶技巧をものともせず、あくまで美の限界を崩さぬ姿勢に徹している。しかし鳥居氏自身は実のところ、超絶技巧にも美音にもさほど関心はないであろう。氏が一貫して追及するのは管弦楽のような立体的な響きの構築である。一個の箱に見立てたグランドピアノを余分な力を一切入れずに鳴らし、測ったようにホールの空間の隅々にまで均質な響きを届けていく。まるで日々このホールで練習しているかのように響きの勘所を心得ている。これほど見事にいずみホールを響かせられるピアニストも稀であろう。後進の音楽家たちにも大いに示唆に富む演奏だったのではないか。
後年の8つの小品では、いっそう洗練されたアプローチで独白にも似た調べを紡ぎ出す。そして難曲のパガニーニ変奏曲では、決してヴィルトゥオジティを前面に出さずに、あくまで響きの充溢を通してこの曲の芸術的価値を掘り起こそうとする。曲のバランスから調性にいたるまで入念に考え抜かれたこの日のリサイタルは、アンコールとして演奏された最晩年のイ長調の間奏曲で見事に完結した。枯れてもなお生を慈しむかような暖かくやさしい調べが、深い余韻とともに聴衆を見送っていた。(音楽ライター:北川順一)

土井緑 ピアノリサイタル~ パリで煌く作曲家達 Vol.7 ~

2021年10月28日(木) 19:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール

ショパン:ワルツ第3番イ短調 op34-2『華麗なる円舞曲』、マズルカ第13番イ短調op17-4、ノクターン第13番ハ短調op48-1
ドビュッシー:『版画』(「塔」「グラナダの夕べ」「雨の庭」)、『喜びの島』
大澤壽人:『ウッドブロックス』、『丁丑春三題』より Ⅰ 春宵紅梅 Ⅲ 春律醉心
バルトーク:14のバガテルop.6 Sz.38より 第4番、ピアノ・ソナタSz.80
(アンコール)
ショパン:幻想即興曲嬰ハ短調op.66、エチュード変イ長調op.25-1『エオリアン・ハープ』

土井緑氏の近年のリサイタルは、往時のパリのカフェを彷彿とさせるアンソロジー的な性格を備えていたが、今回は腰を据えて4人の作曲家に取り組むものとなった。ショパンの三曲はいずれも「憂い」の表情を帯びるが、土井氏はそうした情緒を極力排し、相変わらずクリアな音でつとめて即物的に演奏する。さすがにドビュッシーの『版画』はお手の物で、軽やかなタッチが立体的な音像を構成する。一つ一つ点描で精緻に積み上げられた「塔」、エキゾチックな情感に心惹かれる「グラナダの夕べ」、なぜか濡れていたくなるように爽やかな「雨の庭」、どれもきわめて秀逸だ。これに対して『喜びの島』では、ためらいがちなトリルとテーマがどこか内省的な印象を与え、歓喜の発露という定式化した印象を払拭する。ショパンと同様に、ある種の感情を呼び起こす曲では、そのような先入観を慎重に退けているようだ。後半は打楽器としてのピアノに焦点を当てる。お馴染みの大澤作品では、和のリズムの要素を生き生きと際立たせる。当時のパリの聴衆にはどう聴こえたろうか、と空想するのも楽しい。そして圧巻のバルトークのソナタでは、何種類もの打楽器を鳴らすように、一台のピアノからさまざまな音色を引き出す。しかも個々の音が極上の真珠玉のように美しい。第二楽章はまるで、短い序奏のように置かれたバガテル第4番の余韻だ。そして終楽章では相当な超絶技巧が要求されるが、美しい音像が微塵も乱れないのはさすがだ。(音楽ライター:北川順一)

内田朎子×田野倉雅秋 夢の再演!シューベルティアーデ ~シューベルト五重奏曲の魅力~

2020年09月08日(火) 19:00 日本基督教団 天満教会

シューベルト:弦楽五重奏曲ハ長調D956、ピアノ五重奏曲イ長調『ます』D667
(アンコール)
シューベルト:エレン第三の歌『アヴェ・マリア』D839(田野倉、内田)

【出演】ピアノ:内田朎子 ヴァイオリン:田野倉雅秋、蔵川瑠美 ヴィオラ:佐藤まり子 チェロ:諸岡拓見 コントラバス:サイモン・ポレジャエフ

4年前に伝説の『クロイツェル』で聴衆を沸かせた内田朎子氏と田野倉雅秋氏が、新たな仲間とともに再び天満教会に帰ってきた。この日の弦楽五重奏曲は、『ます』の編成に合わせて第二チェロをコントラバスで代奏したものである。コントラバスは常に第二チェロのオクターヴ下を弾くというわけではなく、多くの箇所でオリジナルの音高を保っており、高音域特有のややくすんでミュートがかった音色が、原曲とは全く違った響きを生み出す。また、通常この曲では舞台上手から1.Vn、2.Vn、Va、1.Vc、2.Vcと並ぶが、この日は1.Vn、2.Vn、Cb、Vc、Vaとなった。扇の要というその位置は、弦楽四重奏をその根底で支えるという第二チェロパートの重要性を表す。きわめて緊密なアンサンブルは、視覚的に分断されている内声にも全き統一感を与えている。緩徐楽章の第一ヴァイオリンとコントラバスの無時間的で耽美な対話も実にいい。そして、白熱した緊迫感の中にも、各パートの歌心が遺憾なく発揮されている。そして、なんと音楽生活70周年になるという内田朎子氏を迎えての『ます』。内田氏特有の、乳白色の光を放つ極上の陶器のような美しい音色は今なお健在であり、その音楽はどこまでもリズミカルで流麗である。オリジナルの歌曲『ます』の面影を残す第四楽章の最終変奏などは、まさに水を得た魚のようで実にチャーミングだ。何よりも、若い音楽家たちとの即興性豊かな合奏を心の底から楽しんでいる様子が、やさしく穏やかな気持ちで客席の心をつかむ。往時のシューベルティアーデを彷彿とさせるような、まことに楽しく晴れやかな夕べの集いであった。(音楽ライター:北川順一)

モーツァルト室内管弦楽団メンバーによるサロンコンサート<クライネ・モーツァルト>第98回例会

2020年07月10日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲第2番イ長調B.155
シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調op.44
シューベルト:ピアノ五重奏曲イ長調D667「ます」

【出演】ピアノ:菊地葉子(ドヴォルジャーク)、小池 泉(シューマン)、山田富士子(シューベルト)ヴァイオリン:釋伸司、中川敦史 ヴィオラ:佐份利祐子 チェロ:山岸孝教 コントラバス:南出信一 お話:門 良一

モーツァルト室内管弦楽団のメンバーが、三人の女流ピアニストとともにピアノ五重奏の傑作を披露した。ドヴォルジャーク担当の菊地葉子氏は、終始確かなテンポ取りと正確なリズム感で弦楽器群を引っ張っていく。全体を通してほぼイン・テンポで小気味良く進んでいく一方で、どのフレーズの処理にも実に細やかな配慮をみせる。終楽章の第二主題の箇所では、いくぶんテンポを落として付点音符と三連符の違いをきりりと際立たせる。実に心憎い演出だ。続く小池泉氏は、シューマンの持つ重厚な和声を生かした広がりのある音空間を構築する。それが弦にも波及して、重層的な響きができあがる。小池氏もまた、決して大言壮語することなく、あるときは主となり、またあるときは従となって、どこまでも曲に奉仕する姿勢に徹する。そしてシューベルトの山田富士子氏は、冒頭のアルペジオの溌剌とした輝きに続けて、一貫して悠然とテンポよく進んでいく。そして山田氏もまた、決してソリスト然としてふるまうことはなく、あくまでアンサンブルの一員として、この曲のオーケストラ的な響きを引き出すことに貢献している。このように三人のピアニストたちの演奏にはいずれも同じピアニズムがあるが、それもそのはず、山田氏を師とする同門の音楽家たちなのだ。さすがに師弟の競演である。弦楽器群も、後半へ向けていっそう調子を上げ、ピアノを力強くサポートする。客席は人数を大幅に減らしてはいたが、久しぶりの生演奏に歓喜する人々の思いは熱く、盛況の時と変わらぬ拍手が鳴り響いていた。(音楽ライター:北川順一)

八幡 順&小林道夫 モーツァルト・スペシャルナイト!

2019年11月07日(木) 19:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール

モーツァルト: ヴァイオリンソナタ第30番ニ長調K.306(300i)、第28番ホ短調K.304(300c)、第36番変ホ長調K.380(374f)、第42番イ長調K.526

音に聞こえたアンサンブルの大家である小林道夫氏を迎えて、八幡順氏が全編モーツァルトによる演奏会を開催した。前半の二作は、作曲者がヴィーンに来住する以前に書かれ、少年期の「ヴァイオリン付きのピアノソナタ」の様式を色濃く留めている。そのことを体現するように終始小林氏が主導し、八幡氏がそれに続いていく形をとる。小林氏のピアノは軽快にして明晰で、実に立体的な音像を構築する。その上に八幡氏は、青空の浮雲のように美しい音をやさしく添えていく。モーツァルトにはきわめて珍しいホ短調のソナタでは短調らしい情緒が連綿と綴られ、第二楽章中間部の長調の部ではつかの間の慰めのような切ない情感が胸を打つ。後半はヴィーン時代の作品である。変ホ長調ソナタでは、ヴァイオリンが次第に自己主張を始める様子が伺える。すると、先ほどまで主導的であった小林氏が徐々に八幡氏に道を譲っていく。実に細やかな心遣いだ。そして最後のイ長調ソナタでは、両者の役割はほぼ対等となる。二人の合奏もいっそう緊密になり、ますます洗練されていく。全編を通じて、モーツァルトのソナタにおいてヴァイオリンの比重が次第に高まっていく様子が絶妙のバランスの変化で表現されており、なるほどこの流れがベートーヴェンの『クロイツェル』へ通じていくのだと実感できる。二人の演奏は、終始一貫して互いへの敬意と親密な合奏の喜びに満ちていた。まことに素敵なモーツァルトの一夜であった。(音楽ライター:北川順一)

俣野修子・奈良場恒美ピアノデュオリサイタル

2019年10月06日(日) 15:00 いずみホール

チャイコフスキー: 組曲『くるみ割り人形』op.71a(連弾)
アレンスキー: 組曲第1番op.15 「ロマンス」「ワルツ」「ポロネーズ」(二台)
ラフマニノフ: 組曲第1番『幻想的絵画』op5より 「舟唄」(二台)、組曲第2番op.17 「序奏」「ワルツ」「ロマンス」「タランテラ」(二台)
(アンコール)
ラフマニノフ: ヴォカリーズop.34-14 連弾

俣野修子、奈良場恒美両氏が、連弾と二台のピアノという似て非なる形態でその妙技を披露した。まずはチャイコフスキー。ピアノ的特性が十分に生かされつつも、オーケストラ的な色彩感も全く損なわれない。主旋律と伴奏形のバランスが実に見事で、この曲の面白さ、楽しさを十二分に伝える素晴らしい演奏だ。アレンスキーからは二台ピアノである。両氏は互いに技巧を競って音をぶつけ合うようなことは決してせず、二人の音をまるで経糸と緯糸のように巧みに交錯させ、一台のピアノでは為しえない効果を実現する。したがってその演奏は、アレンスキーの「ロマンス」やラフマニノフの「舟唄」のように抒情的、叙景的な曲でこそ最も効果を発揮する、といえるだろう。とりわけ「舟唄」では、寄せては返す一連の波の動きに、もう一つの波が別の方向から打ち寄せるように、ステレオ効果が最大限に活用されている。そしてその果てしない音の波の向こうには、まるで絶望に呻吟する作曲者の苦悩さえ浮かんでくるようだ。第二組曲でも、二大ピアノの魅力は存分に伝わる。ぴったりと息の合った「序奏」、両氏の音が切れ目なく紡ぎ出される「ワルツ」、互いの思いがアルペジオの掛け合いとなって語られるような「ロマンス」、そして「タランテラ」では、いくぶん抑えたテンポで重厚感あふれる見事な音のピラミッドが築き上げられていく。連弾と二台ピアノとはこうも違うものか、ということをあらためて認識した一日であった。(音楽ライター:北川順一)

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