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♪コンサートレポート

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〜始まりは恐怖だった〜秘められた怖さを知れば暑さも吹っ飛ぶ!!納涼コンサートVol.4

2025年7月13日(日) 15:00 ザ・フェニックスホール

ビゼー(ホルコム編):カルメン幻想曲/マスランカ:「レシテーション・ブック」より第5楽章/ラヴェル:「鏡」よりⅠ.蛾、Ⅱ.悲しい鳥たち/スクリャービン:幻想曲ロ短調/山田耕筰:曼珠沙華/團伊玖磨:「夕鶴」より“私の大事な与ひょう”/プーランク:「六重奏曲」より第1楽章/ヒンデミット:ハープ・ソナタ/猪本隆:ゆうれい屋敷/リスト:ローレライ/ショパン:革命のエチュード/サン=サーンス:タランテラ/モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタホ短調K.304

【出演】プロデュース・ピアノ:小川友子
金管五重奏(Trp/辻 千里、山岡眞澄 Hrn/野田彩伽寧 Trb/段床昴流 Tb/阪田奏太) Le Ciel Saxophone Quartet(S.Sax/徳永舞歌 A.Sax/大西未来 T.Sax/橋本愛理 B.Sax/永井杏樹) Pf/栗林萌華、川谷木綿子、林 朝子、松村美知子、宇田津典子、北 一恵 Sop/森本まどか、杉原眞理子 ピアノ六重奏(Pf/植田味香子 Fl/今井満美 Ob/大内 楓 Cl/楠瀬綾音 Fg/小西紗耶加 Hrn/伊藤 杏) Hp/摩数意英子 Fl/重本千晴 Cl/南方美穂 Vn/小森谷 巧

ベストセラー『怖い絵』シリーズについて、作者の中野京子氏は「画家が意図せずとも怖さを忍ばせた絵は少なくない」と語っている。ピアニスト小川友子氏が企画するこの「納涼コンサート」シリーズも、(『ゆうれい屋敷』を除いて)ただちに恐怖を連想させることはないが実は恐怖にまつわる来歴があるという作品が集められており、「怖い物見たさ」ならぬ「怖い曲聴きたさ」の好奇心も手伝って毎年高い人気を得ているようだ。
 若手からヴェテランまでがさまざまな編成による多様な作品を披露し、聴く者を飽きさせることがない。後景に映し出される絵画も、音楽の内容と必ずしも符合しているわけではないのだが、それゆえにかえって聴き手の自由な想像力が妨げられないのがいい。つまり、恐怖を感じながら聴くもよし、そうした概念抜きに純粋に音楽として楽しむもよし、そういういろいろな聴き方ができるところが、このシリーズが支持される理由なのであろう。
 「希望さえあれば、恐怖は何も手出しができない」(シラー『群盗』)というように、恐怖は希望によって克服されうる。コンサートの最後には全ての出演者が一斉に舞台に立って拍手喝采を受けたが、自分の出番が済んだら終わり、ではなくて皆で力を出し合って作り上げたコンサートに最後まで参加するという姿勢がとても嬉しかった。現在進行形で地球上に存在するさまざまな恐怖を皆で乗り越え、希望ある明日に向かおうとする出演者全員の思いがそこに表れているようだった。(音楽ライター:北川順一)

松岡リマッハー由佳 チャペル de アヴェ・マリア

2025年7月11日(金) 18:30 日本基督教団 天満教会

カッチーニ:アヴェ・マリア/ケルビーニ:アヴェ・マリア/シューベルト:アヴェ・マリア/メンデルスゾーン:アヴェ・マリア/讃美歌 聖歌集305「み母マリア」/ヴェルディ:歌劇「オテロ」より“アヴェ・マリア”/バッハ~グノー:アヴェ・マリア/ルッツィ:アヴェ・マリア/トスティ:アヴェ・マリア/ピアソラ:アヴェ・マリア

【出演】ソプラノ:松岡リマッハー由佳 ピアノ:山畑 誠 ダンス:小路有希枝

「アヴェ・マリア」はローマ・カトリック教会における聖マリア賛美の祈祷文であり、教会によるラテン語の定型文の他にもさまざまな文言で親しまれている。そこに付曲された音楽はおそらく無数に存在するであろう。長年にわたって欧州各地の劇場で主役級の活躍を果たしてきた松岡リマッハー由佳氏は、自ら集めた100曲を超える「アヴェ・マリア」の中から10曲ほどを厳選し、このリサイタルに臨んだ。さすがにヴィオレッタやジルダなどを歌って欧州の聴衆を魅了してきただけのことはある、童女のようにかわいらしく美しい声の持ち主でありながら、ときに常人離れした高声を力強く鮮やかに決め、またはソプラノらしからぬ脅かすような低声も響かせ、まるで天満教会のささやかな空間を一瞬にして大歌劇場に変えてしまうほどの迫力だ。まさに天性の情感的ソプラノ・リリコである。
 ピアノの山畑誠氏は、いかなるスタイルの伴奏形であろうと臨機応変に対応し、その曲に最もふさわしい演奏を提供して松岡氏の歌唱を支える。
 ピアソラの「アヴェ・マリア」では(そしてアンコールのロムビの作品でも)、これまた欧州の劇場で演者としても振付師としても活躍し、松岡氏とも幾度となく共演してきた舞踊家の小路有希枝氏が加わる。その鍛え抜かれた四肢の筋肉の鋭角的で俊敏な動きには、思わずこちらの姿勢が正されるような厳しさと美しさがある。ここではまさに歌、ピアノ、そしてダンスの三者が一体となって一つの芸術作品を創造しているのだ。(音楽ライター:北川順一)

マーラー・ユーゲントオーケストラ・ジャパン第1回演奏会

2025年7月07日(月) 19:00 ザ・シンフォニーホール

吉松隆:鳥たちの祝祭への前奏曲/マーラー:交響曲第5番

【出演】指揮:河﨑 聡 管弦楽:マーラー・ユーゲントオーケストラ・ジャパン

マーラー・ユーゲントオーケストラ・ジャパンは、作曲者の165回目の誕生日である7月7日の公演に合わせて結成された、文字通りマーラーを敬愛する若い音楽家たちの楽団である。全国のオーケストラの首席奏者級の名手が核となり、主に関西で活躍するフリーの演奏家たちも数多く参加している。急造の楽団であるにもかかわらず、そのアンサンブルは実に充実して見事なものだ。
吉松隆の『鳥たちの祝祭への前奏曲』は、さまざまな楽器に託された「鳥の歌」が美しくも華やかな、その名の如く祝祭の竿頭を飾るにふさわしい音楽である。
そして本編のマーラー、劈頭のトランペット・ソロは、「軍楽ファンファーレのように、アッチェレランドで」という作曲者の指示を忠実に守り、なおかつまっすぐでたしかな音と迫力で客席を魅了する。楽譜に「コルノ・オブリガート」と記された第3楽章のホルン・ソロは終始立ったまま演奏され、ときには甘いカンタービレ、ときには荒々しく野性的で金属的な響きでホールを満たす。この見事な両ソロを支える金管セクション、これまたソロを中心に秀逸な木管群、そして決然とした打楽器群と、みな各自の持ち場で遺憾なくその実力を発揮する。なかでも弦楽器群の充実ぶりは素晴らしく、とても力強い響きが印象的だ。ハープと弦だけの有名な第4楽章では、過度の情緒に溺れず、感興豊かに法悦のひとときを演出する。彼ら気鋭の楽員を束ねる指揮の河崎聡氏はあくまで総譜に忠実であり、その上で奏者の自主性を最大限に尊重しているようだ。それがこのように気迫溢れる果敢な演奏をもたらしたことは間違いない。
こうして当楽団は記念すべき第1回の公演を成功裡に終えた。今後のさらなる活躍が楽しみだ。(音楽ライター:北川順一)

山中淳史 フルートリサイタル vol.4~浪漫派への憧憬~

2025年5月28日(水) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・小ホール

J.アンデルセン:3つの小品op.57/S.カルク=エーレルト:ソナタ「アパッショナータ」嬰ヘ短調op.140、シンフォニッシェ・カンツォーネop.114/W.ギーゼキング:ソナチネ/Th.ベーム:エレジーop.47/C.ライネッケ:フルートソナタホ短調「水の精」op.167

【出演】フルート:山中淳史 ピアノ:前北恵美

19世紀は、オーケストラで用いられる楽器が決定的な改良を経てほぼ今日の姿に整備された時代であった。フルートもその例に漏れず、テオバルト・ベームが1847年に革命的かつ決定的な楽器の開発に成功している。それを基に数々の小規模な変更があって今日に至っているのであるが、その改変によって生じてしまった新たな演奏上の不都合もいくらかあるという。ドイツ・ロマン派の音楽に深く共感する山中淳史氏は、同時代の楽曲の理想的な演奏を目指し、当時ベームが考案した楽器を再現したフルートをこのたび特別に誂えさせたのである。その木製のフルートは、機能的には今日のフルートとほぼ変わりがないが、現代において主流となっているタイプの楽器とは指使いが異なるため、演奏に当たっては大変な苦労があったそうだ。
山中氏は現代的なヴィブラートを用いずに自然な吹奏で楽器を鳴らしていく。そのため木製の楽器特有の重層化された音色の厚みが、まるで淡い虹のように色彩豊かに感じられる。高音域の輝きが金属的な鋭さを持たず、いくらか温和な光を放つのも良い。もちろん技巧をひけらかすようなことは一切なく、控えめで程よいテンポで曲を進行させていく。ピアノの前北恵美氏も、明確なタッチで山中氏の演奏を彩りつつ、寄り添うように支える。
輝かしい金属製の楽器の響きとはまた異なった、まるで往時を彷彿とさせるようなフルートの音色に触れるという得難い体験をした一日であった。(音楽ライター:北川順一)

八幡 順 バッハ無伴奏ヴァイオリン・シリーズ

2025年5月09日(金) 19:00 日本基督教団 天満教会

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調BWV1002、第2番二短調BWV1004

八幡順氏の愛器、ガルネリ・デル・ジェス(イエスのガルネリ)は1738年に製作されたもので、まだバッハが生きていた頃の西欧の空気をその内部に宿す極上の銘器である。そして演奏会場である日本基督教団天満教会はまさに都会の中の浄域であり、美しい白亜の内壁や天井に見事な音響効果を備えた音楽の殿堂でもある。その粛然とした宗教的雰囲気を纏った銘器の響きは大変素晴らしく、同じくプロテスタントの流れを汲むバッハの音楽を演奏するには最適の場といえよう。
この日の静かな雨がもたらすわずかな湿潤感が、八幡氏の愛器が奏でる琥珀色の古酒のような音色に絶妙の淡い輝きを添え、新たな生命を吹き込む。氏はホールや楽器の性質を熟知した上で、この日にむけて湿度を観測するなど入念に調整していたといい、きっとそれが功を奏したのであろう、実に味わい深い音色を聴かせてくれる。今夜の曲目はいずれも短調であるが、その本質は舞曲をまとめたパルティータであり、氏は決して厳しく陰鬱な演奏に向かわず、舞曲の愉悦感を大切にしているようだ。とりわけ速いテンポの曲にそうした様子が伺える。特に印象的なのはG線の響きで、とても繊細かつ上品であり、高音域の輝きをうまく吸収して全体の響きに深みを添えるようだ。
良い楽器と良いホール、そしてこの日の気候と、三つの好条件を味方につけたこの日の演奏は、その素晴らしい雰囲気とともに静かに心に残るものであった。(音楽ライター:北川順一)

NPO法人関西音楽人クラブ Spring Concert 2025~アンサンブル・フロットと共に~

2025年4月13日(日) 16:00 兵庫県立芸術文化センター・小ホール

バッハ:2台のピアノのための協奏曲ハ短調BWV1060/ロッシーニ:オペラ「セヴィリアの理髪師」より“今の歌声は”/モーツァルト:コンサートアリア「私は行く、だがどこへ」K.583、「ドン・ジョヴァンニ」より“酷いですって?-そんな事はおっしゃらないで”、ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466/ヘンデル:オペラ「ジュリアス・シーザー」より“この胸に息のある限り”/アーノルド:ギター協奏曲op.67 他

【出演】指揮:高曲伸和 管弦楽:フロット室内管弦楽団 プロデュース:藤渓優子
2台ピアノ:前田峰子&田村映子 ソプラノ:前田尚代、吉村桜子、森本まどか、畑友実子 ギター:藤原盛企 ピアノ:中村美生子

宗教音楽のスペシャリスト高曲伸和氏が率いるアンサンブル・フロットは、専門とする教会音楽以外に、この日のように華やかな世俗的ガラ・コンサートなども行う。ソリストたちにとって、いわゆる「オケ伴」で技量を披露する機会は大変貴重であり、この楽団の存在はとても頼もしく、心強いことだろう。
まずは前田峰子氏と田村映子氏によるバッハの二重協奏曲、端正なタッチで奏でられる近代的なピアノの音色がオーケストラとよく共鳴している。続くは四人の声楽陣、終始にこやかな微笑みを絶やさぬ前田尚代氏、とりわけ中声域の自然な感情の発露が印象的な吉村桜子氏、素朴的リリコというべき清澄な歌声がやさしく心に沁みる森本まどか氏、力強く情感的なドラマティコでありながら、人物の心情を繊細かつ抒情的に表現する術にも長けた畑友実子氏、みなそれぞれに個性的だ。そしてこの日唯一の20世紀作品であるアーノルドのギター協奏曲は、フルート、クラリネット、ホルン各一本ずつに弦楽五部という小編成で、巧みなオーケストレイションによって繊細なギターの音色を際立たせ、連綿たる憂愁の情緒を切々と奏でる素晴らしい音楽だ。藤原盛企氏は、床に落ちたピンのようにか細い音から荒々しく激しいトレモロまで、八面六臂の活躍をみせてギター演奏の限界に挑む。最後の中村美生子氏によるモーツァルトのニ短調協奏曲では、とりわけ第二楽章中間部の激情溢れる箇所が印象に残る。花冷えの雨が肌身に沁みる一日の、温かい感情に満たされたコンサートだった。(音楽ライター:北川順一)

青山優子 フルート・リサイタル~バロックの愉しみ~

2025年4月12日(土) 14:00 ムラマツリサイタルホール新大阪

C.Ph.E.バッハ:ハンブルガー・ソナタト長調/J.S.バッハ:フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタロ短調/N.シェドヴィル:ソナタ「忠実な羊飼い」第6番ト短調/M.ブラヴェ:ソナタト長調op.2-1/J-M.ルクレール:ソナタホ短調op.2-1

【出演】フルート:青山優子 チェンバロ:江口恭子

バロックのレパートリーをずらりと揃えた今回のリサイタルで青山優子氏は、輝かしい高音域がよく伸びる「金」ではなく、とりわけ中低音の響きが豊かな「銀」のフルートを選んだ。ヴィブラートを排した素朴な音色にはしかし大変説得力がある。そのうえ全音域を通じてその音色はきわめて均質で粒が揃っており、どこまでも豊穣で美しい。そして少しも力まず自然体で発せられた音がホールの隅々にまでしっかり届いている。まさに楽器やホールの特性を知り尽くした見事な演奏だ。
前半のバッハ親子からすでに明らかなように、フルートの豊穣な音色とチェンバロの古雅な音色が心地よく溶け合い、時には遊び心さえ垣間見える。後半のフランス・バロックではその腕はますます冴えわたり、堅実な通奏低音の上で優雅に舞うような装飾音がとてもチャーミングだ。現代的なヴィブラートを用いずとも、美しい音色と装飾音の巧みな扱いによって、これほどにも情感豊かな演奏が可能なのだ。古楽奏法を表面的に真似るのではなく、最高の技術で作られた現代の楽器を用いて時代様式にふさわしい演奏をするという、今日におけるバロック演奏の一つの答えがそこにある。江口恭子氏も、古楽器を模した新しいチェンバロのみずみずしい音色を存分に生かし、繊細なタッチと鮮やかな色彩感で青山氏を支える。
楽器や奏法に古今の違いはあれど、「良い音」を目指すべきことに変わりはない、あらためてそう強く感じた午後のひとときであった。(音楽ライター:北川順一)

畑 儀文《シューベルト歌曲弾き歌い》Vol.8

2024年1月19日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・小ホール

シューベルト:アデライーデD95、恋人の近くD162、月に寄せてD193、泉のほとりの若者D300、万霊節の連禱D343、竪琴弾きの歌Ⅰ・Ⅱ・ⅢD478、さすらい人D689、湖上にてD543、ガニュメートD544、わが挨拶をD741、夜咲き菫D752、さすらい人の夜の歌D768、水の上で歌うD774、君はわが憩いD776、旅人が月に寄せてD870、春にD882、歌(シルヴィアに)D891、冬の夕べD938

恒例かつ好評の畑儀文氏のシューベルト弾き歌いシリーズ、今回はしばらく続いた連作歌曲集を離れて詞華集風にまとめられた。ベーゼンドルファー製のピアノとの相性も実に良いようだ。
さて、この弾き歌いというスタイルだが、あるいはゲーテ自身も行っていたかもしれないと思う。よく知られる『魔王』への冷淡な反応から、音楽のわからぬ人と誤解されることもあるゲーテだが、そのピアノの腕は相当なものであり、音楽への造詣の深さは決して人後に落ちることはなかった。自ら俳優として舞台に立つこともあったゲーテは、自分のもとに贈られてくる楽譜を、試しに自分で弾き歌ってみたに違いない。だが、詩には詩独自のリズムがあり、時間が内包されている。『ガニュメート』や『竪琴弾き』など、芸術歌曲として高い完成度を誇る作品も、ゲーテにしてみれば「私の詩を壊された」という思いがしたのかもしれない。「ゲザング」(Gesang=歌)に代わる「リート」(Lied)という新たな表現形態を創始したシューベルトの芸術があまりにも時代の先を行っていたために、ゲーテには受け入れられなかったのだろう。ともあれ畑氏のステージは、献呈された楽譜を前に弾き歌ってみる大詩人の姿さえ想像させてくれる。
相変わらず、甘く切なく、やさしい歌声である。美しく澄んだ高声とともに深々とした低声も実によく響いている。テノールにしてはやや低めのメゾテノールというべきシューベルト歌曲の声域にぴったりだ。
畑氏は今夏、『美しき水車小屋の娘』を引っ提げて、ヨーロッパ公演の旅に出かけるという。とりわけヴィーンでは、シューベルトが洗礼を受けたリヒテンタール教区教会でその美しい歌声が披露される。これほどシューベルト弾き歌いにふさわしい場所があるだろうか。きっと現地でも多くの感銘を与えることだろう。(音楽ライター:北川順一)

八幡 順クリスマス★コンサート2023 《名器グァルネリ・デル・ジェスから溢れ出る愛と情熱の響き》

2023年12月16日(土) 17:00 ザ・フェニックスホール

バッハ~グノー:アヴェ・マリア/J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番よりアダージョとフーガ/ヘンデル~ハルヴォルセン編:パッサカリア/ヘンデル~ハルヴォルセン編:パッサカリア/ヴィヴルディ:「四季」より“冬”/坂本龍一:戦場のメリークリスマス/ドヴォルザーク:ユーモレスク/シューベルト:アヴェ・マリア/ピアソラ:アディオス・ノニーノ、リベルタンゴ/ロシア民謡:黒い瞳、2つのギター/モンティ:チャールダーシュ

【出演】Vn/八幡 順 Vn/大町 剛 Pf/本村陽子

年末恒例の八幡順氏のクリスマス・コンサートは、二人の共演者を迎えて行われた。舞台上にさりげなく置かれたお洒落な帽子が、ささやかなで家族的なクリスマスの雰囲気をやさしく醸し出す。
前半はアカデミックなリサイタルの模様、相変わらずの美しい音色である。乾燥した気候のせいか、楽器も実によく鳴っている。重音のあとの開放弦がヴィオラ・ダモーレの共鳴弦のように、これまた美しい余韻となって響く。
前半最後のヴィヴァルディの『冬』で、当ホール名物の背面の壁が開く。日常の世界と非日常の芸術の時間とをゆるやかに取り結ぶ、フェニックスホールならではの素晴らしい演出だ。梅田新道の交差点は青を基調とした美しい照明に彩られ、自動車の白いヘッドライトや赤いテールランプが東西南北に行き交う。年の瀬のあわただしくも浮き立つような雰囲気と美しい音楽の世界とが、何の矛盾もなく並存している。
共演者の妙技も光る。すぐれたピアニストでもあった作曲者を追慕するようなピアノ・ソロによる『戦場のメリークリスマス』には、深い悲しみの籠るしっとりした情緒が宿る。チェロを取り上げた『リベルタンゴ』はおおらかで伸びやかで、まさに「自由なタンゴ」と呼ぶにふさわしいものだ。
この日の演奏会を締めくくるのは、そしてラッシュー(緩)からフリッシュ(急)へと移行するロマの音楽、二つのロシア民謡とチャールダーシュだ。むせび泣くようなラッシューの旋律は、とても品の良いポルタメントで婀娜な雰囲気を演出し、フリッシュに入り激しく躍動しても美の限界を決して越えない。
大量消費の時代に迎合せず、家族でささやかに過ごすクリスマスの雰囲気を湛えた、しみじみと心に残る良きコンサートであった。(音楽ライター:北川順一)

金 桂仙 ソプラノリサイタル ふるさとを歌う~塚田佳男氏を迎えて~

2023年10月29日(日) 15:00 住友生命いずみホール

山田耕筰:この道、かやの木山の/越谷達之助:初恋/小林秀雄:落葉松/多忠亮:宵待草/大中 寅二:椰子の実/ホン・ナンバ:故郷の春/ユン・イサン:ブランコ・秋天/チェ・ヨンソプ:懐かしの金剛山/コ・ジョンファン:臨津河/中田喜直:サルビア、ピアニシモの秋、霧と話した、雪の降る街を、むこうむこう

【出演】ソプラノ:金 桂仙 ピアノ:塚田佳男

金桂仙氏の歌声は母の子守唄のようにやさしく、温かい。一方で氏は情感的なソプラノ・リリコというべき声質の持ち主であり、その表現力はとても豊かで幅広く、そして力強い。
日本人には懐かしい日本歌曲の数々では、素朴な歌唱の中に洗練された情感が自然に表現されており、『中国地方の子守唄』など、しっとりとした情緒が消えゆくような余韻とともにいつまでも心に残る。
韓国歌曲もまた素晴らしい。簡潔にして格調高い『故郷の春』、ドイツで世界的な名声を博した作曲家の若き日の野心作、国家の分断ゆえに今は容易には近づけぬ山や、南北に分かれた故郷を貫く川の歌と、金氏は一層の共感とともに熱く歌う。
そして、生誕100周年を迎えた中田喜直への篤い敬慕の念を籠めた数曲である。誰知らぬ者のない『小さい秋』などは、金氏が最も得意とする曲ではなかろうか。他にも『霧と話した』や『むこうむこう』など、いずれも涙を誘うほどに心に沁み入るが、その歌唱はあくまでも理知的であり、決して情に溺れることはない。そして当夜のすべての曲には、金氏ならではの深く豊かな人生の経験と智恵がうかがえる。
ピアノの塚田佳男氏は、練達の腕前で金氏の歌唱を巧みに支える。歌の合間のソロは、まるでヨーロッパのカフェかバーで「何か日本の曲を聴かせてくれないか」と請われて即興で弾いてみせたかのようだ。まさにこの上ない良質な日本文化の紹介であり、味わい深い金氏の歌に見事な花を添える。(音楽ライター:北川順一)

《令和4年度文化庁長官表彰記念》マリンバ界の巨匠 安倍圭子マリンバ&トーク コンサート

2023年10月06日(金) 19:00 高槻城公園芸術文化劇場南館 太陽ファルマテックホール

安倍圭子:わらべ歌リフレクションズⅡ~スペシャル・バージョン~、ガレリア・インプレッションズ~六本撥のための~スペシャル・バージョン、祭りの太鼓、遥かな海~マリンバ・アンサンブルのための~スペシャル・バージョン、マリンバ三重奏協奏曲「ザ・ウェーブ・インプレッションズ」スペシャル・バージョン

【出演】マリンバ&お話:安倍圭子 マリンバ:木村恭子、森田嘉子美、山下恵理、端野愛子、櫻井裕介 ピアノ:原 清夏

わが国マリンバ界の草分けである安倍圭子氏は、この楽器が楽壇においてまだまだ市民権を得ていなかった頃から、当代一級の作曲家たちに新曲を委嘱し、各地で演奏会を開き、メーカーと共同で楽器の開発改良に尽力するなど、一貫してこの楽器の普及に努めてきた。その甲斐あって、いまやマリンバ音楽は音楽界に確固たる地位を築き上げた。その功が称えられて文化庁長官表彰という輝かしい栄誉を勝ち得たのである。氏はこの楽器を知り尽くした演奏家としての見識を作曲にも振り向けてきており、この日はそんな自作曲の数々が披露された。
「マリンバは叩く楽器ではなく、響かせる楽器だ」と安倍氏は語る。あるときはやさしく撫でるように、またあるときは荒々しく力強く、多彩な変幻の様相を呈するその演奏は、きわめて洗練されている。かすかな呼吸の音さえはばかられる完全な静寂から、いつ始まったとも知れぬ音のうねりが発せられるというような楽器は他にはないであろう。人間の官能に直接働きかけるその響きは、真新しい木のホールの壁材にさえ共鳴するかのようだ。共演する次代のマリンバ奏者やピアニストたちも、偉大な先駆者への敬愛の念を胸に安倍氏を力強く支える。自らの来し方を語る安倍氏の言葉は、後に続く音楽家たちへの温かい眼差しに満ちていた。
やはりマリンバは「祈りの楽器」だと思う。木を叩いて音を出すという根源的な行いは、あらゆるところに棲む神的な存在を呼び覚まし、それに対して人々は畏怖の感情と共に祈りを捧げる。原始どのようにして音楽という営みが生まれたか、そんなことに思いを馳せる一夜であった。(音楽ライター:北川順一)

畑 儀文《シューベルト歌曲弾き歌い》Vol.7 歌曲集『美しき水車屋の娘』

2023年09月01日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」D795(全20曲)

畑儀文氏が弾き歌いの伴侶に選んだのは、前回の『冬の旅』に続き、ヴィーンの楽器職人アントン・ヴァルターが1810年頃に製作したピアノフォルテのレプリカである。音域は5オクターヴ余りしかなく、今日のグランドピアノより2オクターヴも狭い。この曲のピアノパートが中低音域に偏っているのも、当時シューベルトがこのような楽器を使っていたためだろうと想像がつく。その音色には古拙ともいうべき趣きがある。
今年は『美しき水車小屋の娘』が作曲されてからちょうど200年目にあたる。1823年はシューベルトにとって「危機の年」であり、5年後の死の遠因となる重病を発したのみならず、創作上の重大な危機があり、有名な「未完成交響曲」をはじめ、多くの作品が未完に終わっている。そのような時期のシューベルトの心情はどのようなものであったろうか、畑氏はそこに思いを致したに違いない。当時の素朴で古風なピアノの音色と、柔和で甘美な畑氏の声音とが見事に調和しており、その声音の美しさは以前にも増してやさしい輝きを増している。シューベルティアーデのような親密な集いでシューベルト自身が仲間に歌って聴かせたであろうその情景が、目に浮かぶようだ。
コロナ禍での雌伏の時期に、独りピアノに向かってひたすら歌の研鑽を積んだという畑氏は、「シューベルトのおかげでここまでやってこられた」としみじみ語る。敬愛し私淑する偉大な楽聖への思いが込められた一言だ。(音楽ライター:北川順一)

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