♪コンサートレポート

畑儀文シューベルト歌曲弾き歌い Vol. 5

2022.05.10(火)19:00兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール

シューベルト:『美しき水車小屋の娘』D795(全曲)
畑儀文氏の弾き歌いシリーズの第5弾は、『冬の旅』に続いて連作歌曲集『美しき水車小屋の娘』である。ピアノと歌唱を一人二役でこなすという例は、古今東西あまり例がないという。そもそもこの曲のピアノパートはかなり難しい。そしてやはり歌とピアノが役割分担していてこそ、芸術歌曲にふさわしい高い完成度が得られるということだろうか。幾多の名ピアニストと共演し、数多の名演を実現してきた畑氏自身、そのことに思い至らなかったはずはない。そんな氏が今回あえて一人二役に挑んだのは、それによってシューベルトの心により近づきかったからでないか。『冬の旅』を完成させたシューベルトが、さっそく親しい友人たちに弾き歌って聴かせた話は有名である。『美しき水車小屋の娘』でも同じことがあったのは想像に難くない。シューベルトは、ヴィルヘルム・ミュラーの原詩のロマン主義的アイロニーが含まれた箇所をばっさりと切り捨て、純粋な悲恋の物語として作曲した。あるいは、ついぞ叶うことのなかった自身の恋を投影させたのかもしれない。そしてある時はピアノに向かい、ある時はギターを爪弾いてこの連作歌曲集を仕上げた。そんなシューベルトの心をわが心とするために、畑氏はあえて弾き歌いというな至難の業に挑んだのである。畑氏の甘く美しい柔和な声は、永遠の青年ともいうべき若やぎに満ちており、色彩豊かな風景が次々に繰り広げられるこの曲集に、まことにふさわしい。そして、同じメロディーが繰り返される有節歌曲が多いこの曲集で、歌詞に応じて微妙なニュアンスをこの上なく繊細に表現している。とりわけ印象的だったのは「朝のあいさつ」「水車小屋の花」「涙の雨」だ。最後の「小川の子守歌」では、若者を見守る小川そのものであるかのように、やさしい声音でこの悲しい物語を美しく結ぶ。(北川順一)

鳥居知行ピアノリサイタル~ブラームスの夕べ~

2021.10.29(金)19:00 住友生命いずみホール

ブラームス:自作主題による変奏曲ニ長調op.21-1、ピアノソナタ第2番嬰へ短調op.2、8つの小品op.76、パガニーニの主題による変奏曲イ短調op.35
【アンコール】同:間奏曲イ長調op.118-2
待ちに待った本格派ならではのリサイタル、鳥居知行氏のブラームスの夕べである。冒頭のニ長調の変奏曲では、流れゆく景色を愛でつつ田園を散策するような懐かしい感情が、磨き抜かれた美しい音色で奏でられる。続く嬰へ短調のソナタでは、要求される超絶技巧をものともせず、あくまで美の限界を崩さぬ姿勢に徹している。しかし鳥居氏自身は実のところ、超絶技巧にも美音にもさほど関心はないであろう。氏が一貫して追及するのは管弦楽のような立体的な響きの構築である。一個の箱に見立てたグランドピアノを余分な力を一切入れずに鳴らし、測ったようにホールの空間の隅々にまで均質な響きを届けていく。まるで日々このホールで練習しているかのように響きの勘所を心得ている。これほど見事にいずみホールを響かせられるピアニストも稀であろう。後進の音楽家たちにも大いに示唆に富む演奏だったのではないか。
後年の8つの小品では、いっそう洗練されたアプローチで独白にも似た調べを紡ぎ出す。そして難曲のパガニーニ変奏曲では、決してヴィルトゥオジティを前面に出さずに、あくまで響きの充溢を通してこの曲の芸術的価値を掘り起こそうとする。曲のバランスから調性にいたるまで入念に考え抜かれたこの日のリサイタルは、アンコールとして演奏された最晩年のイ長調の間奏曲で見事に完結した。枯れてもなお生を慈しむかような暖かくやさしい調べが、深い余韻とともに聴衆を見送っていた。(北川順一)

土井緑ピアノリサイタル~ パリで煌く作曲家達 Vol.7 ~

2021.10.28(木)19:00 あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール

ショパン:ワルツ第3番イ短調 op34-2『華麗なる円舞曲』、マズルカ第13番イ短調op17-4、ノクターン第13番ハ短調op48-1
ドビュッシー:『版画』(「塔」「グラナダの夕べ」「雨の庭」)、『喜びの島』
大澤壽人:『ウッドブロックス』、『丁丑春三題』より Ⅰ 春宵紅梅 Ⅲ 春律醉心
バルトーク:14のバガテルop.6 Sz.38より 第4番、ピアノ・ソナタSz.80
【アンコール】ショパン:幻想即興曲嬰ハ短調op.66、エチュード変イ長調op.25-1『エオリアン・ハープ』
土井緑氏の近年のリサイタルは、往時のパリのカフェを彷彿とさせるアンソロジー的な性格を備えていたが、今回は腰を据えて4人の作曲家に取り組むものとなった。ショパンの三曲はいずれも「憂い」の表情を帯びるが、土井氏はそうした情緒を極力排し、相変わらずクリアな音でつとめて即物的に演奏する。さすがにドビュッシーの『版画』はお手の物で、軽やかなタッチが立体的な音像を構成する。一つ一つ点描で精緻に積み上げられた「塔」、エキゾチックな情感に心惹かれる「グラナダの夕べ」、なぜか濡れていたくなるように爽やかな「雨の庭」、どれもきわめて秀逸だ。これに対して『喜びの島』では、ためらいがちなトリルとテーマがどこか内省的な印象を与え、歓喜の発露という定式化した印象を払拭する。ショパンと同様に、ある種の感情を呼び起こす曲では、そのような先入観を慎重に退けているようだ。後半は打楽器としてのピアノに焦点を当てる。お馴染みの大澤作品では、和のリズムの要素を生き生きと際立たせる。当時のパリの聴衆にはどう聴こえたろうか、と空想するのも楽しい。そして圧巻のバルトークのソナタでは、何種類もの打楽器を鳴らすように、一台のピアノからさまざまな音色を引き出す。しかも個々の音が極上の真珠玉のように美しい。第二楽章はまるで、短い序奏のように置かれたバガテル第4番の余韻だ。そして終楽章では相当な超絶技巧が要求されるが、美しい音像が微塵も乱れないのはさすがだ。(北川順一)

内田朎子×田野倉雅秋 夢の再演!シューベルティアーデ ~シューベルト五重奏曲の魅力~

2020.09.08(火)19:00 日本基督教団 天満教会

シューベルト:弦楽五重奏曲ハ長調D956、ピアノ五重奏曲イ長調『ます』D667
アンコール ~ 同:エレン第三の歌『アヴェ・マリア』D839(田野倉、内田)
【出演】ピアノ:内田朎子 ヴァイオリン:田野倉雅秋、蔵川瑠美 ヴィオラ:佐藤まり子 チェロ:諸岡拓見 コントラバス:サイモン・ポレジャエフ
4年前に伝説の『クロイツェル』で聴衆を沸かせた内田朎子氏と田野倉雅秋氏が、新たな仲間とともに再び天満教会に帰ってきた。この日の弦楽五重奏曲は、『ます』の編成に合わせて第二チェロをコントラバスで代奏したものである。コントラバスは常に第二チェロのオクターヴ下を弾くというわけではなく、多くの箇所でオリジナルの音高を保っており、高音域特有のややくすんでミュートがかった音色が、原曲とは全く違った響きを生み出す。また、通常この曲では舞台上手から1.Vn、2.Vn、Va、1.Vc、2.Vcと並ぶが、この日は1.Vn、2.Vn、Cb、Vc、Vaとなった。扇の要というその位置は、弦楽四重奏をその根底で支えるという第二チェロパートの重要性を表す。きわめて緊密なアンサンブルは、視覚的に分断されている内声にも全き統一感を与えている。緩徐楽章の第一ヴァイオリンとコントラバスの無時間的で耽美な対話も実にいい。そして、白熱した緊迫感の中にも、各パートの歌心が遺憾なく発揮されている。そして、なんと音楽生活70周年になるという内田朎子氏を迎えての『ます』。内田氏特有の、乳白色の光を放つ極上の陶器のような美しい音色は今なお健在であり、その音楽はどこまでもリズミカルで流麗である。オリジナルの歌曲『ます』の面影を残す第四楽章の最終変奏などは、まさに水を得た魚のようで実にチャーミングだ。何よりも、若い音楽家たちとの即興性豊かな合奏を心の底から楽しんでいる様子が、やさしく穏やかな気持ちで客席の心をつかむ。往時のシューベルティアーデを彷彿とさせるような、まことに楽しく晴れやかな夕べの集いであった。(北川順一)

モーツァルト室内管弦楽団メンバーによるサロンコンサート第98回例会

2020.07.10(金)19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲第2番イ長調B.155
シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調op.44
シューベルト:ピアノ五重奏曲イ長調D667「ます」
【出演】ピアノ:菊地葉子(ドヴォルジャーク)、小池 泉(シューマン)、山田富士子(シューベルト)ヴァイオリン:釋伸司、中川敦史 ヴィオラ:佐份利祐子 チェロ:山岸孝教 コントラバス:南出信一 お話:門 良一
モーツァルト室内管弦楽団のメンバーが、三人の女流ピアニストとともにピアノ五重奏の傑作を披露した。ドヴォルジャーク担当の菊地葉子氏は、終始確かなテンポ取りと正確なリズム感で弦楽器群を引っ張っていく。全体を通してほぼイン・テンポで小気味良く進んでいく一方で、どのフレーズの処理にも実に細やかな配慮をみせる。終楽章の第二主題の箇所では、いくぶんテンポを落として付点音符と三連符の違いをきりりと際立たせる。実に心憎い演出だ。続く小池泉氏は、シューマンの持つ重厚な和声を生かした広がりのある音空間を構築する。それが弦にも波及して、重層的な響きができあがる。小池氏もまた、決して大言壮語することなく、あるときは主となり、またあるときは従となって、どこまでも曲に奉仕する姿勢に徹する。そしてシューベルトの山田富士子氏は、冒頭のアルペジオの溌剌とした輝きに続けて、一貫して悠然とテンポよく進んでいく。そして山田氏もまた、決してソリスト然としてふるまうことはなく、あくまでアンサンブルの一員として、この曲のオーケストラ的な響きを引き出すことに貢献している。このように三人のピアニストたちの演奏にはいずれも同じピアニズムがあるが、それもそのはず、山田氏を師とする同門の音楽家たちなのだ。さすがに師弟の競演である。弦楽器群も、後半へ向けていっそう調子を上げ、ピアノを力強くサポートする。客席は人数を大幅に減らしてはいたが、久しぶりの生演奏に歓喜する人々の思いは熱く、盛況の時と変わらぬ拍手が鳴り響いていた。(北川順一)

八幡 順&小林道夫 モーツァルト・スペシャルナイト!

2019.11.07(木)19:00 ザ・フェニックスホール

モーツァルト: ヴァイオリンソナタ第30番ニ長調K.306(300i)、第28番ホ短調K.304(300c)、第36番変ホ長調K.380(374f)、第42番イ長調K.526
音に聞こえたアンサンブルの大家である小林道夫氏を迎えて、八幡順氏が全編モーツァルトによる演奏会を開催した。前半の二作は、作曲者がヴィーンに来住する以前に書かれ、少年期の「ヴァイオリン付きのピアノソナタ」の様式を色濃く留めている。そのことを体現するように終始小林氏が主導し、八幡氏がそれに続いていく形をとる。小林氏のピアノは軽快にして明晰で、実に立体的な音像を構築する。その上に八幡氏は、青空の浮雲のように美しい音をやさしく添えていく。モーツァルトにはきわめて珍しいホ短調のソナタでは短調らしい情緒が連綿と綴られ、第二楽章中間部の長調の部ではつかの間の慰めのような切ない情感が胸を打つ。後半はヴィーン時代の作品である。変ホ長調ソナタでは、ヴァイオリンが次第に自己主張を始める様子が伺える。すると、先ほどまで主導的であった小林氏が徐々に八幡氏に道を譲っていく。実に細やかな心遣いだ。そして最後のイ長調ソナタでは、両者の役割はほぼ対等となる。二人の合奏もいっそう緊密になり、ますます洗練されていく。全編を通じて、モーツァルトのソナタにおいてヴァイオリンの比重が次第に高まっていく様子が絶妙のバランスの変化で表現されており、なるほどこの流れがベートーヴェンの『クロイツェル』へ通じていくのだと実感できる。二人の演奏は、終始一貫して互いへの敬意と親密な合奏の喜びに満ちていた。まことに素敵なモーツァルトの一夜であった。(北川順一)

俣野修子・奈良場恒美ピアノデュオリサイタル

2019.10.06(日)15:00 いずみホール

チャイコフスキー: 組曲『くるみ割り人形』op.71a(連弾)
アレンスキー: 組曲第1番op.15 「ロマンス」「ワルツ」「ポロネーズ」(二台)
ラフマニノフ: 組曲第1番『幻想的絵画』op5より 「舟唄」(二台)、組曲第2番op.17 「序奏」「ワルツ」「ロマンス」「タランテラ」(二台)
(アンコール ラフマニノフ: ヴォカリーズop.34-14 連弾)
俣野修子、奈良場恒美両氏が、連弾と二台のピアノという似て非なる形態でその妙技を披露した。  まずはチャイコフスキー。ピアノ的特性が十分に生かされつつも、オーケストラ的な色彩感も全く損なわれない。主旋律と伴奏形のバランスが実に見事で、この曲の面白さ、楽しさを十二分に伝える素晴らしい演奏だ。アレンスキーからは二台ピアノである。両氏は互いに技巧を競って音をぶつけ合うようなことは決してせず、二人の音をまるで経糸と緯糸のように巧みに交錯させ、一台のピアノでは為しえない効果を実現する。したがってその演奏は、アレンスキーの「ロマンス」やラフマニノフの「舟唄」のように抒情的、叙景的な曲でこそ最も効果を発揮する、といえるだろう。とりわけ「舟唄」では、寄せては返す一連の波の動きに、もう一つの波が別の方向から打ち寄せるように、ステレオ効果が最大限に活用されている。そしてその果てしない音の波の向こうには、まるで絶望に呻吟する作曲者の苦悩さえ浮かんでくるようだ。第二組曲でも、二大ピアノの魅力は存分に伝わる。ぴったりと息の合った「序奏」、両氏の音が切れ目なく紡ぎ出される「ワルツ」、互いの思いがアルペジオの掛け合いとなって語られるような「ロマンス」、そして「タランテラ」では、いくぶん抑えたテンポで重厚感あふれる見事な音のピラミッドが築き上げられていく。連弾と二台ピアノとはこうも違うものか、ということをあらためて認識した一日であった。(北川順一)

モーツァルト室内管弦楽団 第190回定期演奏会―フランス音楽特集

2019.10.05(土)14:00 いずみホール

フォーレ:組曲『マスクとベルガマスク』より 「序曲」
イベール:フルート協奏曲
サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調op.22
ビゼー:交響曲ハ長調
フルート独奏:山本ありさ ピアノ独奏:山田富士子 管弦楽:モーツァルト室内管弦楽団 指揮:門 良一
モーツァルト室内管弦楽団のもう一つの得意分野といえば、小編成の特徴を生かしたフランスものであろう。この楽団の最大の美点と言えるバランスの良さが発揮された音空間は繊細かつ上品であり、いかにもフランスの佳品にふさわしい。最初にフォーレの「序曲」。この日も弦と管のバランスは絶妙であり、ひたすらしなやかで、心地よい一陣の秋風のように通り過ぎていく。続いてイベール。山本ありさ氏は大向こうを張るパワーこそ持たないものの、よく練られた美しい音色で聴衆を魅了する。技巧的なカデンツァをはじめ、連続するスタッカートやフラッターなども巧みにこなす。金色の輝きを放つ高音域と対照的に、独特のうなりを持つ中低音域の豊かな表情もいい。そしてサン=サーンスの山田富士子氏は、冒頭から一歩一歩しっかりと踏みしめるように、絶妙のテンポ・ルバートを用いて、きわめて説得力ある演奏を繰り広げる。軽妙なスケルツォ楽章、そして逆巻く怒濤のようなサルタレルロの終楽章でも、決して弾き急がず、どっしりとした安定感と重厚感を醸し出している。いかに演奏至難な箇所であっても少しも揺るがず慌てず、まさに女王の風格だ。最後にビゼーの交響曲。簡潔な管弦楽法を反映して、伴奏部の土台の上にメロディーラインを明快に浮かび上がらせる様子はまことに粋である。ソロもトゥッティも大変美しく、まるで淡くくっきりした色調の水彩画のようだ。テンポも実に適切で、細部に至るまでメリハリが聴いていて、実に楽しい演奏である。(北川順一)

木下千代ピアノリサイタル

2019.09.27(金)19:00 いずみホール

ハイドン:ピアノソナタ第49番変ホ長調Hob. XVI:49
ベートーヴェン:ピアノソナタ第21番ハ長調op.53『ヴァルトシュタイン』
シューマン:『クライスレリアーナ』op.16
(アンコール)
シューマン:『子供のためのアルバム』op.68より 第32曲「シェーラザード」
ブラームス:間奏曲変ホ長調op.117-1
独墺系レパートリーの王道というべきプログラムでリサイタルに臨んだ演奏の根幹には、テンポ取りから強弱の変化に至るまで綿密に計算されつくした、きわめて知的な洞察がある。その上、歌心に満ちた即興的なひらめきがあらゆる瞬間に発揮されるので、聴く者の心はしだいに静かな深い感動へといざなわれていく。まずはハイドン。古典派らしい装飾音や非和声音を実に自然に際立たせ、そこに込められた喜びや悲しみなどの情念を一つずつ丹念に解き明かすように演奏し、まさに「古典派の愉悦」というべき境地を切り拓いていく。ソナタアルバム所収の一曲としてピアノ学習者にはおなじみのこの曲を、単なる「練習曲」ではなく、完成された「芸術作品」へと昇華させている。ベートーヴェンでも、はやる心を抑えるかのように落ち着いたテンポをとり、個々の音を美しく明快に響かせる。跳躍力と推進力に富む第一楽章、短く内容豊かな序奏に続く終楽章の屈託のない大らかな歌の、何と素晴らしいことか。まさに静かなる熱狂、『ヴァルトシュタイン』はこうでなければ、というべき見事な演奏だ。そしてシューマンの大曲では、フレーズの頂点を目指して一気に畳みかけるようなアレグロ楽章と、静かで内省的な緩徐楽章とを実に巧みに対比させる。そして、興に任せて鍵盤に指を走らせながら楽想を練った作曲者の喜びをわが喜びとして、この曲の持つ即興性を十二分に引き出すことに成功している。(北川順一)

Spring Concert 2019 春薫~色とりどりの音色に包まれて

2019.04.10(火)19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

○小松加奈(マリンバ)ヘンデル「ラルゴ」、ジブコビッチ 『イリヤーシュ』
○渡邊光太郎(バリトン)、中根祥子(ピアノ)別宮貞雄 『さくら横ちょう』、木下牧子 「三好達治の氏による二つのうた」より『物語』『乳母車』
○新暁子(クラリネット)、金澤佳代子(ピアノ)シューマン「 幻想小曲集」op.73
○エンキ(中国琵琶)エンキ 『故郷の春節』『琵琶のワルツ』、中国古曲『陽春白雪』
○城居裕貴・丹羽真奈美(ピアノ連弾)ドビュッシー 『小組曲』
○鰺坂知佳・川本麻弥(二台ピアノ)ラフマニノフ「前奏曲」より 『鐘』op.3-2、ローゼンブラット『アリス・イン・ワンダーランド』
○金澤佳代子・猪瀬千裕(二台ピアノ)サン=サーンス「動物の謝肉祭」より『白鳥』、ローゼンブラット『カルメンの主題によるファンタジー』
 今年も関西の楽壇に春を告げるスプリング・コンサートの季節がやってきた。まずは小松加奈氏のマリンバ。ヘンデルでの柔らかなトレモロ奏法による和声は、呪術的でこの世ならぬ禁断の美しさを演出する。一転してジブコビッチでは硬質で鋭いリズムが炸裂する。その激しい跳躍の衝撃は、破壊的でさえある。続いて渡辺光太郎、中根祥子両氏の日本歌曲。『さくら横丁』では、バリトンにしては高い声が桜のはかなさを表しているようだ。そして木下牧子の二曲では、セピア色の記憶の風景ともいうべきこの作曲家独特の世界が、ありありと眼前に繰り広げられる。新暁子、金澤佳代子両氏のデュエットによるシューマンは、まるで陰鬱な冬から春の歓喜への移行を表現したかのような、まさに春らしい曲といえよう。ドイツ管らしい柔らかいアタックと美しいレガートが新氏の持ち味だ。中国琵琶の名手エンキ氏は、金属弦の繊細かつ鋭い響きで凛とした厳しさを演出する。この日のために書き下ろした二つの新曲、『故郷の春節』『琵琶のワルツ』は、豊かな旋律性の中に即興の妙を覗かせる。そして超絶技巧に彩られた古曲『陽春白雪』では、濁世を超越して奏楽に興じる仙女のような、冒しがたい気品と風格が感じられる。城居裕貴、丹羽真奈美両氏は肩を並べて、随所に親密な雰囲気を漂わせて『小組曲』を弾く。「バレエ」の生き生きとしたリズムがとても印象的だ。
ピアノ二台というのは、連弾とは違って向かい合う二人の奏者が互いに腕を競い合う趣があるが、今夜の二組は違っており、気心の知れた友人同士や師弟が呼吸を揃えて合奏を楽しむ室内楽的な雰囲気に満ちていた。鰺坂知佳氏、川本麻弥氏の組も金澤佳代子氏、猪瀬千裕氏の組も、ともに二曲目にローゼンブラットを演奏したが、いかにもパロディーらしい軽妙洒脱な味わいを余すところなく客席に届けていた。(北川順一)

頑張れ! モーツァルト室内管弦楽団

2018.10.30(火)19:00 いずみホール

指揮: 門 良一 管弦楽: モーツァルト室内管弦楽団
ソプラノ: 櫻井 孝子、永田 桂、野村 ゆみ、森本まどか メゾソプラノ:山寺由利子 ヴァイオリン:八幡 順 ピアノ:添田 ゆみ
モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』K527より「みてらっしゃい、かわいい人」(独唱: 永田 桂)、「むごい女ですって」(独唱: 森本まどか)、「何と言うふしだらな」(独唱: 野村 ゆみ)
歌劇『皇帝ティトの慈悲』K621より「私は行く、でも愛しい人よ」(独唱: 山寺由利子)
歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』K588より「女も15歳になったら」(独唱: 永田 桂)、「岩のように動かず」(独唱: 櫻井孝子)
ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K216(独奏: 八幡 順)
ピアノ協奏曲第26番ニ長調K537(独奏: 添田 ゆみ)
 創立五十周年を目前にしたモーツァルト室内管弦楽団の特別公演である。前半はモーツァルトのオペラからアリアの数々をいずれ劣らぬ五人の歌手が披露する。柔らかくかわいらしい声質の永田桂氏、明るいリリックな声が身上の森本まどか氏、張りのある低声が高声をもドラマティックに演出する野村ゆみ氏、迫力ある声量たっぷりのメゾソプラノ山寺由利子氏、そしてこれまたよく響く低声で決然とした歌唱を行う櫻井孝子氏。五人がそれぞれの持ち味を遺憾なく発揮して、この華麗なガラ・コンサートを美しく彩る。
 後半はひときわ華やかな協奏曲が二つ並ぶ。八幡順氏のヴァイオリンはくすんだ柔らかい音色を持ち、そのしっとりとした湿潤感が得も言われぬ情緒を醸し出す。美音へのこだわりは並々ならず、開放弦やアグレッシヴな重音とて決して柔和な響きを失いはしない。とりわけ第二楽章のむせび泣くような情感が言いようもなく美しい。
 そして『戴冠式』の添田ゆみ氏は、明快で軽やかなタッチといい、厳しくも生き生きとした付点のリズムといい、まさしくこれぞモーツァルトというべき演奏だ。力強く小気味よいテンポで進む第一楽章に続いて、第二楽章はセレナーデ(小夜曲)の趣きを漂わせる。やわらかな弦の褥の上でまどろむようなピアノ・ソロが実に美しい。そして終楽章では、バランス良く明るい管の響きに乗せて、添田氏のピアノもますます溌剌と冴えわたる。
 彼女たち素晴らしい共演者を得て、モーツァルト室内管弦楽団のメンバーも勇気百倍、新たな活動の希望や構想も湧いてきたことだろう。今日この日を新たな契機として、さらに良質のモーツァルトをファンに届けるため、五十年、いや百年と元気で活躍し続けるよう願ってやまない。(北川順一)

土井緑ピアノリサイタル

2018.10.24(水)19:00 ザ・フェニックスホール

ラヴェル: ハイドンの名によるメヌエット
尾高尚忠: ソナチネ
大澤壽人: ソナチネ
ドビュッシー: 喜びの島
ラヴェル: クープランの墓
(アンコール)
大澤壽人: 富士山
ショパン: 幻想即興曲嬰ハ短調op.66、練習曲第13番変イ長調op.25-1『エオリアン・ハープ』
 フランスものを得意とする土井緑氏は、強弱の細やかなニュアンスを巧みに用いて粒の揃った個々の音を美しく彩る演奏家だ。不協和音でさえ、新たな音色を創り出すための手段となる。そのことは「ハイドンの名によるメヌエット」ですでに明らかだ。
 戦前の西洋で学んだ二人の日本人。尾高尚忠のソナチネは、まるでラヴェルの曲の続編のように聴こえるが、随所に日本的要素がみられる。大澤壽人の作品からは、西洋の多くの先人の音楽が聴こえてくる一方、冒頭の危機をはらんだ振幅の大きな音型が印象的だ。二人とも、西洋に深く学びながらも日本人である宿命から逃れられぬことを自覚していたのであろう。いずれをも土井氏は繊細で明快なタッチを用いて、東西の狭間に生きた作曲者の苦悩を表現する。 
 「喜びの島」は抑えがたき歓喜の発露として劇的に演奏されることが多いが、土井氏は敢えてそれを抑え、つとめて静かに、抒情的に演奏する。繊細な冒頭のトリルと、生き生きとした鋭いリズムとの対称の妙が光る。
 そして難曲『クープランの墓』を、土井氏は気負いもなくさらりと弾いてのける。「前奏曲」は軽やかなタッチの向こうに切ない情感が浮かび上がる。「フォルラーヌ」や「リゴードン」では、決然とした演奏が絶妙のリズム感を際立たせる。「メヌエット」は、在りし日を偲ぶかのような透明な和声感が美しい。最後の「トッカータ」では、尾高の第三楽章と似た音型を、タッチを微妙に変えて演奏している。ここでも西洋と日本をあえて対比させてみた演奏者の意図がわかるようだ。(北川順一)