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♪コンサートレポート

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畑 儀文《シューベルト歌曲弾き歌い》Vol.8

2024年1月19日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・小ホール

シューベルト:アデライーデD95、恋人の近くD162、月に寄せてD193、泉のほとりの若者D300、万霊節の連禱D343、竪琴弾きの歌Ⅰ・Ⅱ・ⅢD478、さすらい人D689、湖上にてD543、ガニュメートD544、わが挨拶をD741、夜咲き菫D752、さすらい人の夜の歌D768、水の上で歌うD774、君はわが憩いD776、旅人が月に寄せてD870、春にD882、歌(シルヴィアに)D891、冬の夕べD938

恒例かつ好評の畑儀文氏のシューベルト弾き歌いシリーズ、今回はしばらく続いた連作歌曲集を離れて詞華集風にまとめられた。ベーゼンドルファー製のピアノとの相性も実に良いようだ。
さて、この弾き歌いというスタイルだが、あるいはゲーテ自身も行っていたかもしれないと思う。よく知られる『魔王』への冷淡な反応から、音楽のわからぬ人と誤解されることもあるゲーテだが、そのピアノの腕は相当なものであり、音楽への造詣の深さは決して人後に落ちることはなかった。自ら俳優として舞台に立つこともあったゲーテは、自分のもとに贈られてくる楽譜を、試しに自分で弾き歌ってみたに違いない。だが、詩には詩独自のリズムがあり、時間が内包されている。『ガニュメート』や『竪琴弾き』など、芸術歌曲として高い完成度を誇る作品も、ゲーテにしてみれば「私の詩を壊された」という思いがしたのかもしれない。「ゲザング」(Gesang=歌)に代わる「リート」(Lied)という新たな表現形態を創始したシューベルトの芸術があまりにも時代の先を行っていたために、ゲーテには受け入れられなかったのだろう。ともあれ畑氏のステージは、献呈された楽譜を前に弾き歌ってみる大詩人の姿さえ想像させてくれる。
相変わらず、甘く切なく、やさしい歌声である。美しく澄んだ高声とともに深々とした低声も実によく響いている。テノールにしてはやや低めのメゾテノールというべきシューベルト歌曲の声域にぴったりだ。
畑氏は今夏、『美しき水車小屋の娘』を引っ提げて、ヨーロッパ公演の旅に出かけるという。とりわけヴィーンでは、シューベルトが洗礼を受けたリヒテンタール教区教会でその美しい歌声が披露される。これほどシューベルト弾き歌いにふさわしい場所があるだろうか。きっと現地でも多くの感銘を与えることだろう。(音楽ライター:北川順一)

八幡 順クリスマス★コンサート2023 《名器グァルネリ・デル・ジェスから溢れ出る愛と情熱の響き》

2023年12月16日(土) 17:00 ザ・フェニックスホール

バッハ~グノー:アヴェ・マリア/J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番よりアダージョとフーガ/ヘンデル~ハルヴォルセン編:パッサカリア/ヘンデル~ハルヴォルセン編:パッサカリア/ヴィヴルディ:「四季」より“冬”/坂本龍一:戦場のメリークリスマス/ドヴォルザーク:ユーモレスク/シューベルト:アヴェ・マリア/ピアソラ:アディオス・ノニーノ、リベルタンゴ/ロシア民謡:黒い瞳、2つのギター/モンティ:チャールダーシュ

【出演】Vn/八幡 順 Vn/大町 剛 Pf/本村陽子

年末恒例の八幡順氏のクリスマス・コンサートは、二人の共演者を迎えて行われた。舞台上にさりげなく置かれたお洒落な帽子が、ささやかなで家族的なクリスマスの雰囲気をやさしく醸し出す。
前半はアカデミックなリサイタルの模様、相変わらずの美しい音色である。乾燥した気候のせいか、楽器も実によく鳴っている。重音のあとの開放弦がヴィオラ・ダモーレの共鳴弦のように、これまた美しい余韻となって響く。
前半最後のヴィヴァルディの『冬』で、当ホール名物の背面の壁が開く。日常の世界と非日常の芸術の時間とをゆるやかに取り結ぶ、フェニックスホールならではの素晴らしい演出だ。梅田新道の交差点は青を基調とした美しい照明に彩られ、自動車の白いヘッドライトや赤いテールランプが東西南北に行き交う。年の瀬のあわただしくも浮き立つような雰囲気と美しい音楽の世界とが、何の矛盾もなく並存している。
共演者の妙技も光る。すぐれたピアニストでもあった作曲者を追慕するようなピアノ・ソロによる『戦場のメリークリスマス』には、深い悲しみの籠るしっとりした情緒が宿る。チェロを取り上げた『リベルタンゴ』はおおらかで伸びやかで、まさに「自由なタンゴ」と呼ぶにふさわしいものだ。
この日の演奏会を締めくくるのは、そしてラッシュー(緩)からフリッシュ(急)へと移行するロマの音楽、二つのロシア民謡とチャールダーシュだ。むせび泣くようなラッシューの旋律は、とても品の良いポルタメントで婀娜な雰囲気を演出し、フリッシュに入り激しく躍動しても美の限界を決して越えない。
大量消費の時代に迎合せず、家族でささやかに過ごすクリスマスの雰囲気を湛えた、しみじみと心に残る良きコンサートであった。(音楽ライター:北川順一)

金 桂仙 ソプラノリサイタル ふるさとを歌う~塚田佳男氏を迎えて~

2023年10月29日(日) 15:00 住友生命いずみホール

山田耕筰:この道、かやの木山の/越谷達之助:初恋/小林秀雄:落葉松/多忠亮:宵待草/大中 寅二:椰子の実/ホン・ナンバ:故郷の春/ユン・イサン:ブランコ・秋天/チェ・ヨンソプ:懐かしの金剛山/コ・ジョンファン:臨津河/中田喜直:サルビア、ピアニシモの秋、霧と話した、雪の降る街を、むこうむこう

【出演】ソプラノ:金 桂仙 ピアノ:塚田佳男

金桂仙氏の歌声は母の子守唄のようにやさしく、温かい。一方で氏は情感的なソプラノ・リリコというべき声質の持ち主であり、その表現力はとても豊かで幅広く、そして力強い。
日本人には懐かしい日本歌曲の数々では、素朴な歌唱の中に洗練された情感が自然に表現されており、『中国地方の子守唄』など、しっとりとした情緒が消えゆくような余韻とともにいつまでも心に残る。
韓国歌曲もまた素晴らしい。簡潔にして格調高い『故郷の春』、ドイツで世界的な名声を博した作曲家の若き日の野心作、国家の分断ゆえに今は容易には近づけぬ山や、南北に分かれた故郷を貫く川の歌と、金氏は一層の共感とともに熱く歌う。
そして、生誕100周年を迎えた中田喜直への篤い敬慕の念を籠めた数曲である。誰知らぬ者のない『小さい秋』などは、金氏が最も得意とする曲ではなかろうか。他にも『霧と話した』や『むこうむこう』など、いずれも涙を誘うほどに心に沁み入るが、その歌唱はあくまでも理知的であり、決して情に溺れることはない。そして当夜のすべての曲には、金氏ならではの深く豊かな人生の経験と智恵がうかがえる。
ピアノの塚田佳男氏は、練達の腕前で金氏の歌唱を巧みに支える。歌の合間のソロは、まるでヨーロッパのカフェかバーで「何か日本の曲を聴かせてくれないか」と請われて即興で弾いてみせたかのようだ。まさにこの上ない良質な日本文化の紹介であり、味わい深い金氏の歌に見事な花を添える。(音楽ライター:北川順一)

《令和4年度文化庁長官表彰記念》マリンバ界の巨匠 安倍圭子マリンバ&トーク コンサート

2023年10月06日(金) 19:00 高槻城公園芸術文化劇場南館 太陽ファルマテックホール

安倍圭子:わらべ歌リフレクションズⅡ~スペシャル・バージョン~、ガレリア・インプレッションズ~六本撥のための~スペシャル・バージョン、祭りの太鼓、遥かな海~マリンバ・アンサンブルのための~スペシャル・バージョン、マリンバ三重奏協奏曲「ザ・ウェーブ・インプレッションズ」スペシャル・バージョン

【出演】マリンバ&お話:安倍圭子 マリンバ:木村恭子、森田嘉子美、山下恵理、端野愛子、櫻井裕介 ピアノ:原 清夏

わが国マリンバ界の草分けである安倍圭子氏は、この楽器が楽壇においてまだまだ市民権を得ていなかった頃から、当代一級の作曲家たちに新曲を委嘱し、各地で演奏会を開き、メーカーと共同で楽器の開発改良に尽力するなど、一貫してこの楽器の普及に努めてきた。その甲斐あって、いまやマリンバ音楽は音楽界に確固たる地位を築き上げた。その功が称えられて文化庁長官表彰という輝かしい栄誉を勝ち得たのである。氏はこの楽器を知り尽くした演奏家としての見識を作曲にも振り向けてきており、この日はそんな自作曲の数々が披露された。
「マリンバは叩く楽器ではなく、響かせる楽器だ」と安倍氏は語る。あるときはやさしく撫でるように、またあるときは荒々しく力強く、多彩な変幻の様相を呈するその演奏は、きわめて洗練されている。かすかな呼吸の音さえはばかられる完全な静寂から、いつ始まったとも知れぬ音のうねりが発せられるというような楽器は他にはないであろう。人間の官能に直接働きかけるその響きは、真新しい木のホールの壁材にさえ共鳴するかのようだ。共演する次代のマリンバ奏者やピアニストたちも、偉大な先駆者への敬愛の念を胸に安倍氏を力強く支える。自らの来し方を語る安倍氏の言葉は、後に続く音楽家たちへの温かい眼差しに満ちていた。
やはりマリンバは「祈りの楽器」だと思う。木を叩いて音を出すという根源的な行いは、あらゆるところに棲む神的な存在を呼び覚まし、それに対して人々は畏怖の感情と共に祈りを捧げる。原始どのようにして音楽という営みが生まれたか、そんなことに思いを馳せる一夜であった。(音楽ライター:北川順一)

畑 儀文《シューベルト歌曲弾き歌い》Vol.7 歌曲集『美しき水車屋の娘』

2023年09月01日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」D795(全20曲)

畑儀文氏が弾き歌いの伴侶に選んだのは、前回の『冬の旅』に続き、ヴィーンの楽器職人アントン・ヴァルターが1810年頃に製作したピアノフォルテのレプリカである。音域は5オクターヴ余りしかなく、今日のグランドピアノより2オクターヴも狭い。この曲のピアノパートが中低音域に偏っているのも、当時シューベルトがこのような楽器を使っていたためだろうと想像がつく。その音色には古拙ともいうべき趣きがある。
今年は『美しき水車小屋の娘』が作曲されてからちょうど200年目にあたる。1823年はシューベルトにとって「危機の年」であり、5年後の死の遠因となる重病を発したのみならず、創作上の重大な危機があり、有名な「未完成交響曲」をはじめ、多くの作品が未完に終わっている。そのような時期のシューベルトの心情はどのようなものであったろうか、畑氏はそこに思いを致したに違いない。当時の素朴で古風なピアノの音色と、柔和で甘美な畑氏の声音とが見事に調和しており、その声音の美しさは以前にも増してやさしい輝きを増している。シューベルティアーデのような親密な集いでシューベルト自身が仲間に歌って聴かせたであろうその情景が、目に浮かぶようだ。
コロナ禍での雌伏の時期に、独りピアノに向かってひたすら歌の研鑽を積んだという畑氏は、「シューベルトのおかげでここまでやってこられた」としみじみ語る。敬愛し私淑する偉大な楽聖への思いが込められた一言だ。(音楽ライター:北川順一)

金澤俊江ピアノリサイタル

2023年08月13日(日) 14:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80、ソナタ第14番嬰ハ短調op.27-2「月光」
シューマン:交響的練習曲op.13

金澤俊江氏の身上は「マルカート」ということかもしれない。明快なタッチで個々の音をはっきりと表現し、主旋律と対旋律をうまく対比させることで、曲のテクスチュアを明確にしていく。かつて米国で二度のリサイタルを行い、明快さが尊ばれる音楽風土の中で培われてきた氏独自の音楽観があるのだろう。氏は今回、あまりに有名な『月光』を挟んで変奏曲を置くという、アカデミックなプログラムを用意してきた。ベートーヴェンの変奏曲は、そんな金澤氏のスタイルが最大限に発揮された演奏だった。8小節の短い主題が32回にわたって変奏されるもので、主旋律が左手と右手に交互に移っていくような構成になっており、それを生気溢れる演奏で丁寧に解き明かしていく。『月光』は決して叙景的ではなく、とても重厚感ある演奏であり、その背後には恋の苦衷、別離、そして生への決意という作曲者の当時の心情が映し出されているかのようだ。同様にシューマンでもあくまで力強く迫る。とりわけ印象的だったのは、全ての変奏の方向性を決定づける推進力に満ちた第1エチュードと、ヴァイオリンを模した右手の技巧的な動きをあえて抑え、左手の主旋律を巧みに浮き上がらせた第3エチュードだ。いささか夢幻的な第11エチュードを経て、最後の長調では歓喜の凱歌を高らかに奏でる。明快で決然としたピアニズムが心地よい疲労感と共に深く心に刻まれた、灼熱の真夏の一夜であった。
(音楽ライター:北川順一)

八幡順 モーツァルト:ヴァイオリンソナタ全曲演奏会シリーズ

2023年05月27日(土) 16:00 青山音楽記念館バロックザール

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ変ロ長調K.570(原曲:ピアノソナタ第18番変ロ長調K.570)
ヴァイオリンソナタ(第40番)変ロ長調K.454
ヴァイオリンソナタ(第42番)イ長調K.526

【出演】ヴァイオリン:八幡 順 ピアノ:本村 陽子

八幡 順氏のヴァイオリンは、柔和でヴェールを纏ったような美感を持つ音色が最大の特徴だ。梅雨入りを待つこの日のやや湿潤な空気が、そんな八幡氏の音色をいっそうやさしく包み込む。
K.570のソナタのピアノパートは、なんと原曲のピアノソナタのそれと全く同じである。そこに新たにヴァイオリンパートを付け加えるというのは、いささか「蛇足」の感がある。だがこれによって、初期の「ヴァイオリン付きのピアノソナタ」がいかにして作曲されたかがわかるのだ。主体はあくまでピアノであり、その上にヴァイオリンが華やかな装飾を施していく。本村陽子氏のピアノは軽快で明瞭なタッチ、時代様式に則った明快な造形力を持ち、まことにモーツァルト演奏にふさわしい。そして八幡氏は、ピアノの領域を決して侵さぬよう、控えめなヴァイオリンの音をそっと添えていく。まさに絶妙の「音のトッピング」である。お互いに程よい配慮があって、とても気持ちのよい二重奏だ。
次のK.454の変ロ長調ソナタでも、合奏の妙味を旨とする八幡氏の姿勢は変わらない。しかし、ヴァイオリンにはピアノパートと有機的に結びついているフレーズが多く、八幡氏は巧みに少しずつ自分の音楽を主張していく。
そして、『クロイツェル』の先駆けともいえるK.526のイ長調ソナタに至って両者の役割はほぼ対等となり、モーツァルトがこのジャンルにおける完成形に近づいたことがよくわかる。二人の演奏はますます鮮やかに冴えわたり、フィナーレでは息をもつかせぬ緊迫のクライマックスを迎える。(音楽ライター:北川順一)

添田ゆみピアノリサイタル《詩的に・・・ 情熱的に・・・》

2023年05月12日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

スカルラッティ:ソナタハ長調K.159、ハ短調K.11
ブラームス: 6つの小品op.118
リスト:『巡礼の年』第2年補遺「ヴェネチアとナポリ」より 第3曲タランテラ
ドビュッシー:「前奏曲集」より アナカプリの丘、亜麻色の髪の乙女、ミンストレル、ヒースの荒野、奇人ラヴィ―ヌ将軍、花火
ショパン:12のエチュードop.25より 第1番変イ長調「エオリアン・ハープ」 、ポロネーズ第6番変イ長調op.53『英雄』

添田ゆみは、作品における様式観を何よりも大切にするピアニストだ。時代様式という則を決して踏み越えず、過剰な思い入れも一切排除して、あくまで虚心坦懐、冷静沈着に楽譜に取り組む。しかしその演奏は実に感興豊かで、終始音楽することの喜びに満ちている。
スカルラッティは、簡明な和声で立体的に構成された音の館に、近代的で洗練された彩色を施しているかのようだ。ブラームスでは、あるときはゆらゆらとそよ風に乗って、またあるときはしっかりと大地を踏みしめて歩くように、作曲者の内面を散策する。枯淡の境地と評される晩年のブラームスは、これほどの情熱を内に秘め、豊饒な色彩感覚に溢れていたのか、とあらためて驚く。リストのタランテラでは、超絶技巧をそれとわからぬようにきわめて美しく巧みに仕上げてみせる。ドビュッシーでは「ミンストレル」と「奇人ラヴィーヌ将軍」がとりわけ出色で、道化の危なっかしい動きを実にユーモラスに演出する。そこに作為の痕跡は全く見られず、あくまで自然な表現に徹する。そしてショパンでも、ことさら英雄的であろうとはせずに、力強く正確なタッチで寸分たがわず勘所を射抜く。過剰に没入した演奏ではないからこそ、これまで意識していなかったこの曲の魅力に気づかされる。
いずれの演奏も、あくまで楽譜に忠実であり作曲者に奉仕する演奏であった。そしてそこには、紛れもなく演奏家添田ゆみ氏の個性がはっきりと表れていた。(音楽ライター:北川順一)

轟木裕子ピアノリサイタル

2023年04月02日(日) 14:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

ハイドン:ピアノソナタハ長調Hob. XVI:50
ベートーヴェン:ピアノソナタ第17番ニ短調op.31-2
ショパン:ノクターン嬰ハ短調op.27-1、変ニ長調op.27-2、ハ短調op.48-1、舟歌嬰ヘ長調op.60、幻想ポロネーズ変イ長調op.61

轟木裕子氏は柔らかいタッチの持ち主だ。前半のハイドンとベートーヴェンでは、古典派の演奏様式に忠実に守る。ハイドンは非常に端正であり、細部に溺れない演奏だ。劇的に盛り上げられることの多い『あらし』だが、轟木氏の演奏はそうした大言壮語とは無縁である。これは現実の暴風雨ではなく、復讐心と慈悲心の間で揺れ動く主人公の葛藤の様相なのだと考えているからであろう。この2曲では、細部への丁寧な気配りが行き届いていることに加えて、テンポどりの正確さが際立っている。
後半のショパンでは演奏スタイルががらりと変わる。それは「呻吟するショパン」とでもいうべきものであろう。まず3つのノクターンだが、いささか茫洋とした性格の調性である嬰ハ短調、変ニ長調の2曲に続くのは、苦悩を直截的に表現するハ短調である。こうして、若いころの漠然とした不安が後年になって明確な苦衷となって現れる様子を描き出す。
『舟歌』には静かな力強さがある。自分は決して病魔の苦痛に絶望しているのではない、回復したらまた沖へ漕ぎ出そう、と思っているかのようだ。
そして『幻想ポロネーズ』では、和音一つ一つが噛みしめるように奏でられる。時折聞こえるポロネーズのリズムも、ショパンの苦悩を反映するかのように重苦しい。ポロネーズという様式を通じてショパンは何を表現しようとしたのか、それを問いかけるような演奏である。こうして轟木裕子氏は、敬愛するショパンの内面に迫っていくのだ。(音楽ライター:北川順一)

畑儀文シューベルト歌曲弾き歌い Vol. 5 歌曲集『美しき水車屋の娘』

2022年05月10日(火) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール

シューベルト:『美しき水車小屋の娘』D795(全曲)

畑 儀文氏の弾き歌いシリーズの第5弾は、『冬の旅』に続いて連作歌曲集『美しき水車小屋の娘』である。ピアノと歌唱を一人二役でこなすという例は、古今東西あまり例がないという。そもそもこの曲のピアノパートはかなり難しい。そしてやはり歌とピアノが役割分担していてこそ、芸術歌曲にふさわしい高い完成度が得られるということだろうか。幾多の名ピアニストと共演し、数多の名演を実現してきた畑氏自身、そのことに思い至らなかったはずはない。そんな氏が今回あえて一人二役に挑んだのは、それによってシューベルトの心により近づきかったからでないか。『冬の旅』を完成させたシューベルトが、さっそく親しい友人たちに弾き歌って聴かせた話は有名である。『美しき水車小屋の娘』でも同じことがあったのは想像に難くない。シューベルトは、ヴィルヘルム・ミュラーの原詩のロマン主義的アイロニーが含まれた箇所をばっさりと切り捨て、純粋な悲恋の物語として作曲した。あるいは、ついぞ叶うことのなかった自身の恋を投影させたのかもしれない。そしてある時はピアノに向かい、ある時はギターを爪弾いてこの連作歌曲集を仕上げた。そんなシューベルトの心をわが心とするために、畑氏はあえて弾き歌いというな至難の業に挑んだのである。畑氏の甘く美しい柔和な声は、永遠の青年ともいうべき若やぎに満ちており、色彩豊かな風景が次々に繰り広げられるこの曲集に、まことにふさわしい。そして、同じメロディーが繰り返される有節歌曲が多いこの曲集で、歌詞に応じて微妙なニュアンスをこの上なく繊細に表現している。とりわけ印象的だったのは「朝のあいさつ」「水車小屋の花」「涙の雨」だ。最後の「小川の子守歌」では、若者を見守る小川そのものであるかのように、やさしい声音でこの悲しい物語を美しく結ぶ。(音楽ライター:北川順一)

鳥居知行ピアノリサイタル~ブラームスの夕べ~

2021年10月29日(金) 19:00 住友生命いずみホール

ブラームス:自作主題による変奏曲ニ長調op.21-1、ピアノソナタ第2番嬰へ短調op.2、8つの小品op.76、パガニーニの主題による変奏曲イ短調op.35
(アンコール)
ブラームス:間奏曲イ長調op.118-2

待ちに待った本格派ならではのリサイタル、鳥居知行氏のブラームスの夕べである。冒頭のニ長調の変奏曲では、流れゆく景色を愛でつつ田園を散策するような懐かしい感情が、磨き抜かれた美しい音色で奏でられる。続く嬰へ短調のソナタでは、要求される超絶技巧をものともせず、あくまで美の限界を崩さぬ姿勢に徹している。しかし鳥居氏自身は実のところ、超絶技巧にも美音にもさほど関心はないであろう。氏が一貫して追及するのは管弦楽のような立体的な響きの構築である。一個の箱に見立てたグランドピアノを余分な力を一切入れずに鳴らし、測ったようにホールの空間の隅々にまで均質な響きを届けていく。まるで日々このホールで練習しているかのように響きの勘所を心得ている。これほど見事にいずみホールを響かせられるピアニストも稀であろう。後進の音楽家たちにも大いに示唆に富む演奏だったのではないか。
後年の8つの小品では、いっそう洗練されたアプローチで独白にも似た調べを紡ぎ出す。そして難曲のパガニーニ変奏曲では、決してヴィルトゥオジティを前面に出さずに、あくまで響きの充溢を通してこの曲の芸術的価値を掘り起こそうとする。曲のバランスから調性にいたるまで入念に考え抜かれたこの日のリサイタルは、アンコールとして演奏された最晩年のイ長調の間奏曲で見事に完結した。枯れてもなお生を慈しむかような暖かくやさしい調べが、深い余韻とともに聴衆を見送っていた。(音楽ライター:北川順一)

土井緑 ピアノリサイタル~ パリで煌く作曲家達 Vol.7 ~

2021年10月28日(木) 19:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール

ショパン:ワルツ第3番イ短調 op34-2『華麗なる円舞曲』、マズルカ第13番イ短調op17-4、ノクターン第13番ハ短調op48-1
ドビュッシー:『版画』(「塔」「グラナダの夕べ」「雨の庭」)、『喜びの島』
大澤壽人:『ウッドブロックス』、『丁丑春三題』より Ⅰ 春宵紅梅 Ⅲ 春律醉心
バルトーク:14のバガテルop.6 Sz.38より 第4番、ピアノ・ソナタSz.80
(アンコール)
ショパン:幻想即興曲嬰ハ短調op.66、エチュード変イ長調op.25-1『エオリアン・ハープ』

土井緑氏の近年のリサイタルは、往時のパリのカフェを彷彿とさせるアンソロジー的な性格を備えていたが、今回は腰を据えて4人の作曲家に取り組むものとなった。ショパンの三曲はいずれも「憂い」の表情を帯びるが、土井氏はそうした情緒を極力排し、相変わらずクリアな音でつとめて即物的に演奏する。さすがにドビュッシーの『版画』はお手の物で、軽やかなタッチが立体的な音像を構成する。一つ一つ点描で精緻に積み上げられた「塔」、エキゾチックな情感に心惹かれる「グラナダの夕べ」、なぜか濡れていたくなるように爽やかな「雨の庭」、どれもきわめて秀逸だ。これに対して『喜びの島』では、ためらいがちなトリルとテーマがどこか内省的な印象を与え、歓喜の発露という定式化した印象を払拭する。ショパンと同様に、ある種の感情を呼び起こす曲では、そのような先入観を慎重に退けているようだ。後半は打楽器としてのピアノに焦点を当てる。お馴染みの大澤作品では、和のリズムの要素を生き生きと際立たせる。当時のパリの聴衆にはどう聴こえたろうか、と空想するのも楽しい。そして圧巻のバルトークのソナタでは、何種類もの打楽器を鳴らすように、一台のピアノからさまざまな音色を引き出す。しかも個々の音が極上の真珠玉のように美しい。第二楽章はまるで、短い序奏のように置かれたバガテル第4番の余韻だ。そして終楽章では相当な超絶技巧が要求されるが、美しい音像が微塵も乱れないのはさすがだ。(音楽ライター:北川順一)

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