
♪コンサートレポート
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畑 儀文《シューベルト歌曲弾き歌い》Vol.8
2024年1月19日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・小ホール
シューベルト:アデライーデD95、恋人の近くD162、月に寄せてD193、泉のほとりの若者D300、万霊節の連禱D343、竪琴弾きの歌Ⅰ・Ⅱ・ⅢD478、さすらい人D689、湖上にてD543、ガニュメートD544、わが挨拶をD741、夜咲き菫D752、さすらい人の夜の歌D768、水の上で歌うD774、君はわが憩いD776、旅人が月に寄せてD870、春にD882、歌(シルヴィアに)D891、冬の夕べD938
恒例かつ好評の畑儀文氏のシューベルト弾き歌いシリーズ、今回はしばらく続いた連作歌曲集を離れて詞華集風にまとめられた。ベーゼンドルファー製のピアノとの相性も実に良いようだ。
さて、この弾き歌いというスタイルだが、あるいはゲーテ自身も行っていたかもしれないと思う。よく知られる『魔王』への冷淡な反応から、音楽のわからぬ人と誤解されることもあるゲーテだが、そのピアノの腕は相当なものであり、音楽への造詣の深さは決して人後に落ちることはなかった。自ら俳優として舞台に立つこともあったゲーテは、自分のもとに贈られてくる楽譜を、試しに自分で弾き歌ってみたに違いない。だが、詩には詩独自のリズムがあり、時間が内包されている。『ガニュメート』や『竪琴弾き』など、芸術歌曲として高い完成度を誇る作品も、ゲーテにしてみれば「私の詩を壊された」という思いがしたのかもしれない。「ゲザング」(Gesang=歌)に代わる「リート」(Lied)という新たな表現形態を創始したシューベルトの芸術があまりにも時代の先を行っていたために、ゲーテには受け入れられなかったのだろう。ともあれ畑氏のステージは、献呈された楽譜を前に弾き歌ってみる大詩人の姿さえ想像させてくれる。
相変わらず、甘く切なく、やさしい歌声である。美しく澄んだ高声とともに深々とした低声も実によく響いている。テノールにしてはやや低めのメゾテノールというべきシューベルト歌曲の声域にぴったりだ。
畑氏は今夏、『美しき水車小屋の娘』を引っ提げて、ヨーロッパ公演の旅に出かけるという。とりわけヴィーンでは、シューベルトが洗礼を受けたリヒテンタール教区教会でその美しい歌声が披露される。これほどシューベルト弾き歌いにふさわしい場所があるだろうか。きっと現地でも多くの感銘を与えることだろう。(音楽ライター:北川順一)

八幡 順クリスマス★コンサート2023 《名器グァルネリ・デル・ジェスから溢れ出る愛と情熱の響き》
2023年12月16日(土) 17:00 ザ・フェニックスホール
バッハ~グノー:アヴェ・マリア/J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番よりアダージョとフーガ/ヘンデル~ハルヴォルセン編:パッサカリア/ヘンデル~ハルヴォルセン編:パッサカリア/ヴィヴルディ:「四季」より“冬”/坂本龍一:戦場のメリークリスマス/ドヴォルザーク:ユーモレスク/シューベルト:アヴェ・マリア/ピアソラ:アディオス・ノニーノ、リベルタンゴ/ロシア民謡:黒い瞳、2つのギター/モンティ:チャールダーシュ
【出演】Vn/八幡 順 Vn/大町 剛 Pf/本村陽子
年末恒例の八幡順氏のクリスマス・コンサートは、二人の共演者を迎えて行われた。舞台上にさりげなく置かれたお洒落な帽子が、ささやかなで家族的なクリスマスの雰囲気をやさしく醸し出す。
前半はアカデミックなリサイタルの模様、相変わらずの美しい音色である。乾燥した気候のせいか、楽器も実によく鳴っている。重音のあとの開放弦がヴィオラ・ダモーレの共鳴弦のように、これまた美しい余韻となって響く。
前半最後のヴィヴァルディの『冬』で、当ホール名物の背面の壁が開く。日常の世界と非日常の芸術の時間とをゆるやかに取り結ぶ、フェニックスホールならではの素晴らしい演出だ。梅田新道の交差点は青を基調とした美しい照明に彩られ、自動車の白いヘッドライトや赤いテールランプが東西南北に行き交う。年の瀬のあわただしくも浮き立つような雰囲気と美しい音楽の世界とが、何の矛盾もなく並存している。
共演者の妙技も光る。すぐれたピアニストでもあった作曲者を追慕するようなピアノ・ソロによる『戦場のメリークリスマス』には、深い悲しみの籠るしっとりした情緒が宿る。チェロを取り上げた『リベルタンゴ』はおおらかで伸びやかで、まさに「自由なタンゴ」と呼ぶにふさわしいものだ。
この日の演奏会を締めくくるのは、そしてラッシュー(緩)からフリッシュ(急)へと移行するロマの音楽、二つのロシア民謡とチャールダーシュだ。むせび泣くようなラッシューの旋律は、とても品の良いポルタメントで婀娜な雰囲気を演出し、フリッシュに入り激しく躍動しても美の限界を決して越えない。
大量消費の時代に迎合せず、家族でささやかに過ごすクリスマスの雰囲気を湛えた、しみじみと心に残る良きコンサートであった。(音楽ライター:北川順一)

金 桂仙 ソプラノリサイタル ふるさとを歌う~塚田佳男氏を迎えて~
2023年10月29日(日) 15:00 住友生命いずみホール
山田耕筰:この道、かやの木山の/越谷達之助:初恋/小林秀雄:落葉松/多忠亮:宵待草/大中 寅二:椰子の実/ホン・ナンバ:故郷の春/ユン・イサン:ブランコ・秋天/チェ・ヨンソプ:懐かしの金剛山/コ・ジョンファン:臨津河/中田喜直:サルビア、ピアニシモの秋、霧と話した、雪の降る街を、むこうむこう
【出演】ソプラノ:金 桂仙 ピアノ:塚田佳男
金桂仙氏の歌声は母の子守唄のようにやさしく、温かい。一方で氏は情感的なソプラノ・リリコというべき声質の持ち主であり、その表現力はとても豊かで幅広く、そして力強い。
日本人には懐かしい日本歌曲の数々では、素朴な歌唱の中に洗練された情感が自然に表現されており、『中国地方の子守唄』など、しっとりとした情緒が消えゆくような余韻とともにいつまでも心に残る。
韓国歌曲もまた素晴らしい。簡潔にして格調高い『故郷の春』、ドイツで世界的な名声を博した作曲家の若き日の野心作、国家の分断ゆえに今は容易には近づけぬ山や、南北に分かれた故郷を貫く川の歌と、金氏は一層の共感とともに熱く歌う。
そして、生誕100周年を迎えた中田喜直への篤い敬慕の念を籠めた数曲である。誰知らぬ者のない『小さい秋』などは、金氏が最も得意とする曲ではなかろうか。他にも『霧と話した』や『むこうむこう』など、いずれも涙を誘うほどに心に沁み入るが、その歌唱はあくまでも理知的であり、決して情に溺れることはない。そして当夜のすべての曲には、金氏ならではの深く豊かな人生の経験と智恵がうかがえる。
ピアノの塚田佳男氏は、練達の腕前で金氏の歌唱を巧みに支える。歌の合間のソロは、まるでヨーロッパのカフェかバーで「何か日本の曲を聴かせてくれないか」と請われて即興で弾いてみせたかのようだ。まさにこの上ない良質な日本文化の紹介であり、味わい深い金氏の歌に見事な花を添える。(音楽ライター:北川順一)

《令和4年度文化庁長官表彰記念》マリンバ界の巨匠 安倍圭子マリンバ&トーク コンサート
2023年10月06日(金) 19:00 高槻城公園芸術文化劇場南館 太陽ファルマテックホール
安倍圭子:わらべ歌リフレクションズⅡ~スペシャル・バージョン~、ガレリア・インプレッションズ~六本撥のための~スペシャル・バージョン、祭りの太鼓、遥かな海~マリンバ・アンサンブルのための~スペシャル・バージョン、マリンバ三重奏協奏曲「ザ・ウェーブ・インプレッションズ」スペシャル・バージョン
【出演】マリンバ&お話:安倍圭子 マリンバ:木村恭子、森田嘉子美、山下恵理、端野愛子、櫻井裕介 ピアノ:原 清夏
わが国マリンバ界の草分けである安倍圭子氏は、この楽器が楽壇においてまだまだ市民権を得ていなかった頃から、当代一級の作曲家たちに新曲を委嘱し、各地で演奏会を開き、メーカーと共同で楽器の開発改良に尽力するなど、一貫してこの楽器の普及に努めてきた。その甲斐あって、いまやマリンバ音楽は音楽界に確固たる地位を築き上げた。その功が称えられて文化庁長官表彰という輝かしい栄誉を勝ち得たのである。氏はこの楽器を知り尽くした演奏家としての見識を作曲にも振り向けてきており、この日はそんな自作曲の数々が披露された。
「マリンバは叩く楽器ではなく、響かせる楽器だ」と安倍氏は語る。あるときはやさしく撫でるように、またあるときは荒々しく力強く、多彩な変幻の様相を呈するその演奏は、きわめて洗練されている。かすかな呼吸の音さえはばかられる完全な静寂から、いつ始まったとも知れぬ音のうねりが発せられるというような楽器は他にはないであろう。人間の官能に直接働きかけるその響きは、真新しい木のホールの壁材にさえ共鳴するかのようだ。共演する次代のマリンバ奏者やピアニストたちも、偉大な先駆者への敬愛の念を胸に安倍氏を力強く支える。自らの来し方を語る安倍氏の言葉は、後に続く音楽家たちへの温かい眼差しに満ちていた。
やはりマリンバは「祈りの楽器」だと思う。木を叩いて音を出すという根源的な行いは、あらゆるところに棲む神的な存在を呼び覚まし、それに対して人々は畏怖の感情と共に祈りを捧げる。原始どのようにして音楽という営みが生まれたか、そんなことに思いを馳せる一夜であった。(音楽ライター:北川順一)

畑 儀文《シューベルト歌曲弾き歌い》Vol.7 歌曲集『美しき水車屋の娘』
2023年09月01日(金) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」D795(全20曲)
畑儀文氏が弾き歌いの伴侶に選んだのは、前回の『冬の旅』に続き、ヴィーンの楽器職人アントン・ヴァルターが1810年頃に製作したピアノフォルテのレプリカである。音域は5オクターヴ余りしかなく、今日のグランドピアノより2オクターヴも狭い。この曲のピアノパートが中低音域に偏っているのも、当時シューベルトがこのような楽器を使っていたためだろうと想像がつく。その音色には古拙ともいうべき趣きがある。
今年は『美しき水車小屋の娘』が作曲されてからちょうど200年目にあたる。1823年はシューベルトにとって「危機の年」であり、5年後の死の遠因となる重病を発したのみならず、創作上の重大な危機があり、有名な「未完成交響曲」をはじめ、多くの作品が未完に終わっている。そのような時期のシューベルトの心情はどのようなものであったろうか、畑氏はそこに思いを致したに違いない。当時の素朴で古風なピアノの音色と、柔和で甘美な畑氏の声音とが見事に調和しており、その声音の美しさは以前にも増してやさしい輝きを増している。シューベルティアーデのような親密な集いでシューベルト自身が仲間に歌って聴かせたであろうその情景が、目に浮かぶようだ。
コロナ禍での雌伏の時期に、独りピアノに向かってひたすら歌の研鑽を積んだという畑氏は、「シューベルトのおかげでここまでやってこられた」としみじみ語る。敬愛し私淑する偉大な楽聖への思いが込められた一言だ。(音楽ライター:北川順一)
