
♪コンサートレポート
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山本ありさフルートリサイタル
2018年09月23日(日) 14:00 ムラマツリサイタルホール新大阪
モーツァルト:フルートソナタハ長調K.14
ゴダール:三つの小品op.116
福島和夫:冥
バッハ:フルートソナタイ長調BWV1032
プロコフィエフ:フルートソナタニ長調op.94
【出演】フルート:山本ありさ ピアノ:入谷幸子
30年近い歴史を持つシリンクス・フルートアンサンブルのメンバー山本ありさ氏が、ソリストとして二度目のリサイタルを開催した。バロックから現代まで満遍なく並んだ曲目には、フルート奏者としての高い見識と旺盛な研究心が伺える。また、曲に応じてピアノの蓋の開き幅を変えるなどの細やかな配慮も実に適切であり、見事に効果を上げた。とりわけ全開だったプロコフィエフは、鋭いタッチのピアノにも負けないくらい力強い演奏だった。
山本氏は美しく朗々とした、よく伸びる高音域を持つ。だが残念なことに、中低音域までその輝きが届いていない。おそらく今はまだ、自身の音色を追求している最中なのであろう、随所に音色の統一への志向と、未だそれを果たせぬもどかしさも伺える。ピアノが全閉であったバッハでは、それにもかかわらずピアノの陰に隠れてしまうほど低音域が響いていなかったのが惜しい。
とはいえ、オーバーアクションや饒舌を一切排したひたむきなステージは、聴く者の心に深く響いたことだろう。とりわけ印象深かったのは福島和夫の『冥』だ。西洋の美学には異質な風音などを意欲的に用い、深山幽谷に籠る修験者の趣さえ漂わせて、神秘的な東洋の音世界の構築を試みていた。今後は一層音色の安定を図り、さらに洗練された奏法を自身のものとすることで、ますますよい演奏を聴かせてくれることを心から期待したい。(音楽ライター:北川順一)

池田洋子ピアノリサイタル
2018年09月13日(木) 19:00 秋篠音楽堂
モーツァルト:ピアノソナタ第11番イ長調K.331(300i)
ドビュッシー:前奏曲集第1巻より 「デルフィの舞姫」「 夕べの大気に漂う音と香り」「アナカプリの丘」「亜麻色の髪の乙女」「ミンストレル」
ラヴェル:ソナチネ
ショパン:バラード第3番変イ長調op.47、三つのマズルカop.50、バラード第4番ヘ短調op.52
アンコール
ショパン:夜想曲第2番変ホ長調op.9-2、ワルツ第2番変イ長調op.34-1「華麗なる円舞曲」
今年演奏家生活58年を迎えるという池田洋子氏のリサイタルが、初秋の風薫る古都奈良で開かれた。
この日の池田氏は速めのテンポをとり、明快なタッチで一つ一つの音をはっきり響かせる。そして速いパッセージになればなるほど、個々の音にはっきりとした意志の力が感じられる。各フレーズの終わり方もきわめて自然で美しい。
圧巻だったのは何といってもドビュッシーだ。「デルフィの舞姫」では、和声の中に隠された旋律線がくっきりと浮かび上がる。まるで大理石の彫像が、生命を与えられてゆったり静かに舞っているかのようだ。「夕べの大気に漂う音と香り」では、美しい音色と絶妙なテンポ・ルバートが、そよ風のようにさわやかで心地よい。そして生気に満ちた「アナカプリの丘」では、軽やかなタッチが細部に至るまで見事な音の造形美を作り上げている。最後の「ミンストレル」では不規則なリズムにおどけた表情が加わり、とても楽しい。
ショパンには、これまで池田氏が演奏家として重ねてきた長い歳月の重みが感じられるようだった。巧まざる自然な緩急や強弱によって、奇を衒わずとも一篇の物語が紡ぎ出されていく。とりわけ、まるでもう一つの「舟歌」のようにゆったりと流れて揺れゆくバラードの第3番が印象的だった。(音楽ライター:北川順一)

阪本公美 ピアノリサイタル
2018年04月21日(土) 15:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
バッハ:フランス組曲第5番ト長調BWV816、半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV903
ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番ハ短調op.13「悲愴」
ショパン:即興曲第1番変イ長調op.29、バラード第4番ヘ短調op.52、4つのマズルカop.17
リスト:ポロネーズ第2番ホ長調、愛の夢第3番変イ長調
気品が漂う阪本公美の演奏で、200年以上前の楽譜から、偉大な作曲家4名の人柄を生き生きと浮かび上がらせるリサイタルだった。
J・S・バッハ「フランス組曲第5番ト長調」では、明るい抽象絵画を眺めているような気持ちになった。無数の音符が並ぶバッハのオルガン曲を想起させる音の煌めきは、恋慕の高まりだろうか。「もう二度と愛する人を失いたくない」という哀愁を含ませながら、2人目の妻との幸せを噛みしめる作曲家の穏やかな日常が伝わってくる。
ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番『悲愴』」では、ドラマチックな激しさが現れる。耳が聞こえづらくなったとされる時期に作曲され、第1楽章では壁を打ち砕こうとする心の叫び、嘆き、慟哭、そしてわずかな希望の響きとのコントラストが観客の心を打つ。長い和音を響かせる度に、阪本公美は、作曲家の苦悩に心を寄せているようだった。第2楽章は「ベートーヴェンがどのようにして、この境地にたどり着いたのだろう」と考えると涙が込み上げてくるほど美しい。音色には尊敬の念と母性愛が含まれていた。第3楽章は運命を受け入れる『覚悟』を、絹を扱うように繊細なタッチで紡ぎ出した。
ショパン「バラード第4番ヘ短調」は、美しすぎる天上の楽園そのもの。ピアニストの姿は、まるで鍵盤の下に作曲家の魂が宿る水面があり、波紋をとらえながら弾いているようだった。「4つのマズルカ」は熟成された演奏で、響きには〝愛〟が込められて温かく包みこまれるよう。
ショパンの死を悼んで書かれたリスト「ポロネーズ第2番ホ長調」は、喪失の寂しさと国境を超えた二人の繋がりが、超絶技巧を駆使した魔術的な旋律にのって、ありありと伝わり胸を揺さぶる。人間離れした美しさを描くショパンとは異なり、リストの曲には人間愛が溢れる。「愛の夢第3番変イ長調」は熱情的というよりも、花、風、雨さえも愛しく、生命への感謝を楽譜に綴っているように思えた。
作曲家の意外な一面を感じたり、改めて圧倒されたり、一曲一曲を通して4名の素顔に迫るような演奏会だった。(金子真由)

モーツァルト室内管弦楽団第180回定期演奏会 《魔笛》アンコール公演
2018年01月14日(日) 15:00 いずみホール
モーツァルト:歌劇「魔笛」K.620全曲-アンコール公演-
【出演】Cond/門 良一 Orch/モーツァルト室内管弦楽団
Sop/四方典子、鬼 一薫、西田真由子、津山和代、櫻井孝子、朴 華蓮、山田千尋
M-Sop/山田愛子、麻生真弓 Ten/諏訪部匡司、橋本恵史、西垣俊朗、近藤達夫
Bar/西尾岳史、西垣俊紘、萩原寛明 Bas/松下雅人 Chor/モーツァルト記念合唱団 (合唱指揮:益子 務)
指揮者の門良一が、大きく両手を広げ、モーツァルト「魔笛」の物語が始まる。
いずみホールの舞台上に、モーツァルト室内管弦楽団が並び、オペラ歌手たちがそれを囲むようにドラマを繰り広げる。原語で歌われ、台詞は日本語というスタイル。アリアや重唱ごとに、登場人物が現れては退場し、まるで絵本のページをめくっているよう。
若手のオペラ歌手が多く、それぞれが愛すべきキャラクターを生き生きと演じていた。タミーノ(諏訪部匡司)は、真っ直ぐに恋人への誠実さを貫こうとする男らしさを表現し、笛を鳴らしながら客席から登場したパパゲーノ(西尾岳史)は、関西弁を織り交ぜながら見事に3枚目を演じて客席を沸かせた。夜の女王(四方典子)は、思わず鳥肌が立つような「地獄の復讐が私の心に煮え立っている」を気高く歌い上げ、煮えたぎる復讐心を漂わす。復讐相手であるザラストロ(松下雅人)は、父性愛のような優しさで、夜の女王の娘・パミーナを守ろうとする。そんな関係が、明確に伝わってきた。パミーナ(鬼一薫)は、ホールの天井を突き抜けるような歌唱力で魅了し、「私のいない寂しさから」と傲慢になった母親をかばう。夜の女王の〝心の寂しさ〟に触れ、胸がしめつけられた。
強烈なインパクトがあったのは、モノスタトス(橋本恵史)だろう。全身黒塗り、黄色のアフロヘアで、紐縄を回しながらギラッとした表情で登場。魔法の笛が鳴ると、「ラララーラ」とにこやかに退き、「誰だって恋の喜びは感じるさ」のシーンでは「つらい人生や」と落語の語りでモノスタトスのやるせなさを醸し出す。人の愚かさや滑稽さを愛おしく包んだ「芸」が落語だとしたら、オペラと通じるところがあると感じた。
こんなに関西に密着したオペラ「魔笛」は、ここでしか観ることはできないだろう。「魔笛」には、現代に通じるメッセージがたくさん含まれており、本公演を観て、初めて励まされた。それは、背伸びせず型にはまらない、遊び心あふれる演出のおかげだろう。モーツァルトの音楽がそのまま関西の地に馴染んだような上質なオペラだった。(金子真由)

Christmas Concert 2017 ~多彩な楽器の数々で綴る名曲の調べ~
2017年12月13日(水)19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
マキシモ・プホール:「グリセスとソレス」
モーツァルト:キラキラ星変奏曲
ナーデルマン&テュルー:ノクターン
ショパン:別れの曲
リスト:おお、私が眠りにつく時には
オッフェンバック:歌劇「ホフマン物語」より舟歌
パガニーニ:カンタービレop.19/サラサーテ:ツィゴイネルワイゼンop.20
中国古曲:薔薇
ピアソラ:リベルタンゴ
ビゼー:「アルルの女」第2組曲より 前奏曲、メヌエット、ファランドール 他
【出演】ギター/増井一友、山中美智、山中由美子、佐久間優 Fl/太田里子 Hp/摩寿意英子 Sop/太田郁子 Alt/亀田増美 Vn/泉里沙 中国琵琶/エンキ Pf/藤渓優子、中村美生子、奥村智美
多彩な楽器で、7組がそれぞれの音楽を奏でる。7箱のクリスマスプレゼントを開くようなワクワクした気持ちで聴いた。
ギター四重奏(増井一友・山中美智・山中由美子・佐久間優)は、ブエノスアイレス生まれの現代作曲家マキシモ・プホール「グリセスとソレス」を演奏。ピアソラに通じる甘美で儚い音色が、ギター4本のハーモニーで作られて味わい深い。
優美さで魅せたのは、フルート&ハープ(太田里子・摩寿意英子)によるモーツアルト「キラキラ星変奏曲」、ナーデルマン&テュルー「ノクターン」。山びこが響くように伸びやかなフルートが流れると、ハープの優しげな音色が弾ける。フルートは消えゆくかすかな音にまで気持ちが込められ、ハープは水面に広がる波動のようにきらきら輝いて美しかった。
珍しい組み合わせは、声楽&ハープ(S:太田郁子/A:亀田増美/Hrp:摩寿意英子)だろう。どこまでも続くような豊かな歌唱に包まれ、ハープはそのはじく音により、心の揺れ動きを表すよう。
ヴァイオリン&ピアノ(泉里沙/藤渓優子)は、3曲披露した中で、特にサラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」が素晴らしかった。情熱、愛しさといった激しい心の震えが、ヴァイオリンから伝わり、絹のように滑らかなピアノが受け止める。目には見えない糸で結ばれているような演奏だった。
会場にどよめきが走ったのは、中国琵琶&ピアノ(エンキ・藤渓優子)。リズムに合わせて顔をゆらしながら、10本の指で自由自在に琵琶を操る。コロラトゥーラの様に速い音を転がし、ロック、タンゴ、民族音楽など様々な表情を見せた。圧巻だったのは「剣の舞」で、琵琶とピアノによる目にもとまらぬ速い演奏が、剣の鋭さと重なる。
ラストは、ピアノ連弾(中村美生子・奥村智美)によるビゼー「『アルルの女』第2組曲より」。瑞々しく、4手ならではの力強い演奏が、会場をマジックの世界に誘う。
コンサート後のロビーには、心に響くクリスマスプレゼントを胸いっぱいに受け取ったお客さんたちで賑わっていた。(金子真由)

杉山雄一ヴィオラリサイタル
2017年12月03日(日) 14:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
ミヨー:ヴィオラとピアノのためのソナタ第1番op.240
エルサン:ヴィオラソロのための「パヴァーヌ」
フィンジ:「5つのバガテル」op.23
J.S.バッハ:無伴奏組曲第1番BWV1007(原曲:チェロ)
ヴュータン:ヴィオラとピアノのためのソナタ 変ロ長調op.36
杉山雄一のヴィオラと、杉山智子のピアノが心寄せあって演奏する洒脱なリサイタル。
ミヨー「ヴィオラとピアノの為のソナタ 第1番『18世紀の知られざる作品の主題による』」の第1楽章は、ヴィオラの楽器から、まるでテノール、バリトン、メゾソプラノといった様々な声域が奏でられているよう。第3楽章では、わずか3㍍先で演奏しているのに、遠くから聴こえてくるようで、昔の記憶をたどるような懐かしさが漂う。ピアノとの呼吸がぴったりで、艶やかに第4楽章が演奏された。
エルサン「ヴィオラ独奏の為のパヴァーヌ」は、静かにゆっくりと弦に弓をあてながら、万華鏡のように色とりどりの音色が奏でられる。少ししゃがれた音もあり、モノクロ映画を観ているようだ。暗い会場のなか、舞台には丸いスポットライトが当たっている。その中、両手で弦を「チャン チャンチャン」と爪弾く杉山雄一は哀愁帯びた名優チャップリンの姿と重なる。
絵画的な演奏だったのは、フィンジ「ヴィオラとピアノのための5つのバガテル」。ピアノという「小川」に、ヴィオラの「木の葉」が戯れて流れるように始まる。弓の端から端までを使ってゆったりと弾き、空や雲、草原が続く雄大な景色を想起させる。第4楽章では、急に胸が苦しくなるほど切ない音色が流れる。画家が美しい風景を描いているのを観ているような気持ちにさせられた。
バッハ「無伴奏組曲 第1番ト長調」は、ただただ美しい音色が流れてきた。ステンドガラスに差し込む穏やかな陽射しを浴びているようでもあり、演奏者の人柄が滲み出ているのだろう。
ヴュータン「ヴィオラとピアノの為のソナタ 変ロ長調」は、強弱あるメロディのなか、常に同じ歩調でヴィオラとピアノが寄り添う。ピアノがヴィオラの陰影をつける場面もあり、立体的に聴こえてくる。それは固く結びついた太い幹のようで、熱く激しいメロディと躍動感をもって終止した。
心の底を沸き立たせるような、ヴィオラの音色にすっかり魅了された。(金子真由)

北中綾子ピアノリサイタル Schumannkreis~シューマンをめぐる愛と友情~
2017年10月29日(日) 15:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
クララ・シューマン:ロベルト・シューマンの主題による変奏曲嬰へ短調op.20
ブラームス:ロベルト・シューマンの主題による変奏曲嬰へ短調op.9
ロベルト・シューマン:「色とりどりの小品」op.99より第1曲・第2曲・第3曲・第4曲、アレグロ ロ短調op.8、ピアノソナタ第1番嬰へ短調op.11
大恋愛の末に結ばれたロベルト・シューマンとクララ・シューマン夫妻。夫妻と親交があり、ロベルト亡きあとも、クララを生涯支えたブラームス。それぞれの曲が折り重なるプログラムである。観客は3人のドラマを観劇するように聴きいっていた。
うすいピンク色のドレスでさっそうと登場した北中綾子は、心を無にしながら演奏することで、作曲家たちの「像」を浮かび上がらせているように感じた。それは、ピアニストでありながら伝道師のよう。
ロベルト・シューマン「色とりどりの小品」では、穏やかで、情熱的で、包み込むようなクララへの愛を第1曲から第3曲にかけて奏でた。第4曲になると、ガラリと変わり、思い通りにはならない運命の悲愛を感じさせる。
その第4曲を変奏して作曲されたクララ・シューマン「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 嬰ヘ短調」は、クララからロベルトへの想いが表現された曲。北中のしっかりとした音の響きは、語りに似た表情がある。溢れんばかりの感情が伝わり、思わず目頭が熱くなった。
同じく第4曲を変奏した、ブラームス「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 嬰へ短調」はロベルトへの友情を歌い、その一方でクララへの抑えきれない愛にもがき苦しむ様が伝わってくる。崇高な音色は、そんな3人のあるがままを包み込むようだった。
紺色のドレスに着替えて演奏したのは、ロベルト・シューマン「ピアノ・ソナタ第1番 嬰ヘ短調」。クララへの熱情が注がれた曲で、第1楽章では、岸壁に波打つような激しい想いが伝わる。第2楽章からは彼方の星を見上げ、次第に満点の星が輝きだして共鳴し合い、狂おしい叫びとなって、恋人への想いが綴られる。
アンコールのロベルト・シューマン「トロイメライ」を聴き終わると、人のはかなさが身にしみて、客席ではすすり泣く声も。作曲家が、楽譜に永遠に託した「想い」が会場中に充満しているようだった。鍵盤に向かう北中の姿は、凛として美しかった。(金子真由)

湊谷亜由美ピアノリサイタル
2017年06月03日(土) 17:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
ショパン:即興曲第1番変イ長調op.29、即興曲第2番嬰ヘ長調op.36、即興曲第3番変ト長調op.51、アンダンテ・スピアナートと大ポロネーズ変ホ長調op.22
リスト:ソナタ ロ短調
湊谷亜由美のリサイタルは非常に印象深い内容で彩られていた。深い想いに裏打ちされた個々の音が自由に飛翔している。その爽やかな刺激が何日を経た後も減衰することなく活き続けている。先ず、興味を引かれたのは、冒頭にショパン「即興曲」の“第1番”から“第3番”を配置したこと。本来、想いの向くままにその時の楽想を奔放に綴るImpromptuが譜面化されること自体、自己矛盾と言えば、確かに大いなる矛盾だが、シューベルトにしてもショパンにしてもその「即興曲」は愛され続けている。要は作曲者の想いと演奏者の想いを交差させる際に、演奏者の想いの中に、音楽的思想に裏打ちされた即興の精神がどれほど込められているか、どうか、にかかっていると思う。湊谷亜由美の演奏はまさに“今”の時点での即興の精神をショパンの想いとの交差点上に構築するものだった。
この3つの即興曲が1837年から42年にかけて書かれた事実が私たちに語り掛けることは大きい。この時代のヨーロッパに渦巻いていた社会矛盾や、オーストリア、プロイセン、ロシアに分割され、1815年以降はロシア領に編入されていた故郷、ポーランドへのショパンの想いは彼の芸術活動の隅々にまで及んでいたと考えられる。湊谷も指摘しているように、オペラのアリアを思わせる歌謡調のフレーズが郷愁に彩られた曲想で繋がれている。しかし、その郷愁は決して感傷と同居するものではない。ある意味で時代に、世界に積極的に抗う骨格を備えたものだ。その秘められた抗いの想いが湊谷の打鍵の中に込められていたことに気付く。ヨーロッパはやがて1848年のあの革命の激流へと突き進んでゆく只中にあったことをも暗示する動的要因を孕んでいた。
これは次のショパン「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ変ホ長調」でさらに顕著となる。まさにspianato(落ち着いた、滑らかな)の流れから、輝かしいPolonqiseへと移行する曲想が示すのは単なる音変化の妙、社交界での舞踏への高揚だけではない。故郷を丸ごと包み込む抵抗の想いが描き込まれている。そしてその想いが巧みに織り込まれていた演奏であった。
この前半があったからこそ、後半のリスト「ソナタロ短調」はより深い陰影を刻み込むことができたといえよう。弱音が実に美しい。冒頭と終結部に刻まれる囁くような弱音が、様々に変容しながら巨大な物語世界を構成してゆく。ある意味でリストの全人格が投影されているとも考えられる世界。激しい、超絶技巧にのせて描かれるリストの華麗な曲想は演奏者にとっても最も自身を開示する局面だろう。しかし、リストが辿った屈折した人生行路や多様な作曲家や人士との交流の背景にある屈折した歴史、時代の苦悩はやはり彼の作品の中に濃厚に忍び込んでいる。湊谷亜由美のリスト「ロ短調ソナタ」はほとんど哲学的思索の積み重ねとも言える深い音色と、弱音にこだわった音構成でその秘められたリストの想いを見事に引き出していた。“鬼気迫る”と表現したくなるような凄絶さが流麗なピアニズムと同居している。強い印象を刻む演奏であった。(嶋田邦雄)

横田知子ピアノリサイタル
2016年10月20日(木) 19:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
ショパン:即興曲第3番変ト長調op.51、スケルツォ第3番嬰ハ短調op.39、ピアノソナタ第2番変ロ短調op.35『葬送』
シューマン:幻想曲ハ長調op.17
(アンコール)
ショパン:マズルカニ長調op.33-2、シューマン:トロイメライop.15-7
最も得意とするショパンとシューマンを携えて、横田知子氏がリサイタルの舞台に初登場した。変ト長調の即興曲で横田氏は、自身の内面を深く掘り下げるように精魂を傾け、静かな抒情を表情豊かに紡ぎ出す。まるで、そうすることによって作曲者の心に直接問いかけようとするかのようだ。続く変ロ短調のソナタでは、ショパンその人が憑依したかのような鬼気迫る演奏をみせる。とりわけ変幻自在なテンポ・ルバートは実に大胆で、フレーズの頂点目がけて一気に畳みかけるように加速し、次の瞬間深呼吸をするように緊張を解いて悠然と歌う。だがそこに作為の痕跡は一切見られず、ひたすら自身に乗り移った作曲者の心の命ずるままに演奏しているようだ。嬰ハ短調のスケルツォでも、まるで荒行に身を投じる修験者のように自身を追い込み、精神の破滅の瀬戸際に立つ作曲者の心を表現する。
シューマンの幻想曲もまさに入魂の演奏で、いかにもシューマンらしい旋律や和声を巧みに際立たせ、作曲者の心と一つになったかのように一心に弾き続ける。とりわけ終楽章では、光輝あふれるハ長調の和声の彼方に、遠からず訪れるシューマン自身の破滅の予感が響いているようにさえ思われた。
帰路につく聴衆の胸の内で再び鳴り響いたのは、ショパンかそれともシューマンか。忘我的ともいえる心の籠った演奏を通じて遠い昔の異国の音楽家の心の中を垣間見たような、そんな得難い体験はをした一夜であった。(音楽ライター:北川順一)
