
♪コンサートレポート
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杉山雄一ヴィオラリサイタル
2017年12月03日(日) 14:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
ミヨー:ヴィオラとピアノのためのソナタ第1番op.240
エルサン:ヴィオラソロのための「パヴァーヌ」
フィンジ:「5つのバガテル」op.23
J.S.バッハ:無伴奏組曲第1番BWV1007(原曲:チェロ)
ヴュータン:ヴィオラとピアノのためのソナタ 変ロ長調op.36
杉山雄一のヴィオラと、杉山智子のピアノが心寄せあって演奏する洒脱なリサイタル。
ミヨー「ヴィオラとピアノの為のソナタ 第1番『18世紀の知られざる作品の主題による』」の第1楽章は、ヴィオラの楽器から、まるでテノール、バリトン、メゾソプラノといった様々な声域が奏でられているよう。第3楽章では、わずか3㍍先で演奏しているのに、遠くから聴こえてくるようで、昔の記憶をたどるような懐かしさが漂う。ピアノとの呼吸がぴったりで、艶やかに第4楽章が演奏された。
エルサン「ヴィオラ独奏の為のパヴァーヌ」は、静かにゆっくりと弦に弓をあてながら、万華鏡のように色とりどりの音色が奏でられる。少ししゃがれた音もあり、モノクロ映画を観ているようだ。暗い会場のなか、舞台には丸いスポットライトが当たっている。その中、両手で弦を「チャン チャンチャン」と爪弾く杉山雄一は哀愁帯びた名優チャップリンの姿と重なる。
絵画的な演奏だったのは、フィンジ「ヴィオラとピアノのための5つのバガテル」。ピアノという「小川」に、ヴィオラの「木の葉」が戯れて流れるように始まる。弓の端から端までを使ってゆったりと弾き、空や雲、草原が続く雄大な景色を想起させる。第4楽章では、急に胸が苦しくなるほど切ない音色が流れる。画家が美しい風景を描いているのを観ているような気持ちにさせられた。
バッハ「無伴奏組曲 第1番ト長調」は、ただただ美しい音色が流れてきた。ステンドガラスに差し込む穏やかな陽射しを浴びているようでもあり、演奏者の人柄が滲み出ているのだろう。
ヴュータン「ヴィオラとピアノの為のソナタ 変ロ長調」は、強弱あるメロディのなか、常に同じ歩調でヴィオラとピアノが寄り添う。ピアノがヴィオラの陰影をつける場面もあり、立体的に聴こえてくる。それは固く結びついた太い幹のようで、熱く激しいメロディと躍動感をもって終止した。
心の底を沸き立たせるような、ヴィオラの音色にすっかり魅了された。(金子真由)

北中綾子ピアノリサイタル Schumannkreis~シューマンをめぐる愛と友情~
2017年10月29日(日) 15:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
クララ・シューマン:ロベルト・シューマンの主題による変奏曲嬰へ短調op.20
ブラームス:ロベルト・シューマンの主題による変奏曲嬰へ短調op.9
ロベルト・シューマン:「色とりどりの小品」op.99より第1曲・第2曲・第3曲・第4曲、アレグロ ロ短調op.8、ピアノソナタ第1番嬰へ短調op.11
大恋愛の末に結ばれたロベルト・シューマンとクララ・シューマン夫妻。夫妻と親交があり、ロベルト亡きあとも、クララを生涯支えたブラームス。それぞれの曲が折り重なるプログラムである。観客は3人のドラマを観劇するように聴きいっていた。
うすいピンク色のドレスでさっそうと登場した北中綾子は、心を無にしながら演奏することで、作曲家たちの「像」を浮かび上がらせているように感じた。それは、ピアニストでありながら伝道師のよう。
ロベルト・シューマン「色とりどりの小品」では、穏やかで、情熱的で、包み込むようなクララへの愛を第1曲から第3曲にかけて奏でた。第4曲になると、ガラリと変わり、思い通りにはならない運命の悲愛を感じさせる。
その第4曲を変奏して作曲されたクララ・シューマン「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 嬰ヘ短調」は、クララからロベルトへの想いが表現された曲。北中のしっかりとした音の響きは、語りに似た表情がある。溢れんばかりの感情が伝わり、思わず目頭が熱くなった。
同じく第4曲を変奏した、ブラームス「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 嬰へ短調」はロベルトへの友情を歌い、その一方でクララへの抑えきれない愛にもがき苦しむ様が伝わってくる。崇高な音色は、そんな3人のあるがままを包み込むようだった。
紺色のドレスに着替えて演奏したのは、ロベルト・シューマン「ピアノ・ソナタ第1番 嬰ヘ短調」。クララへの熱情が注がれた曲で、第1楽章では、岸壁に波打つような激しい想いが伝わる。第2楽章からは彼方の星を見上げ、次第に満点の星が輝きだして共鳴し合い、狂おしい叫びとなって、恋人への想いが綴られる。
アンコールのロベルト・シューマン「トロイメライ」を聴き終わると、人のはかなさが身にしみて、客席ではすすり泣く声も。作曲家が、楽譜に永遠に託した「想い」が会場中に充満しているようだった。鍵盤に向かう北中の姿は、凛として美しかった。(金子真由)

湊谷亜由美ピアノリサイタル
2017年06月03日(土) 17:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
ショパン:即興曲第1番変イ長調op.29、即興曲第2番嬰ヘ長調op.36、即興曲第3番変ト長調op.51、アンダンテ・スピアナートと大ポロネーズ変ホ長調op.22
リスト:ソナタ ロ短調
湊谷亜由美のリサイタルは非常に印象深い内容で彩られていた。深い想いに裏打ちされた個々の音が自由に飛翔している。その爽やかな刺激が何日を経た後も減衰することなく活き続けている。先ず、興味を引かれたのは、冒頭にショパン「即興曲」の“第1番”から“第3番”を配置したこと。本来、想いの向くままにその時の楽想を奔放に綴るImpromptuが譜面化されること自体、自己矛盾と言えば、確かに大いなる矛盾だが、シューベルトにしてもショパンにしてもその「即興曲」は愛され続けている。要は作曲者の想いと演奏者の想いを交差させる際に、演奏者の想いの中に、音楽的思想に裏打ちされた即興の精神がどれほど込められているか、どうか、にかかっていると思う。湊谷亜由美の演奏はまさに“今”の時点での即興の精神をショパンの想いとの交差点上に構築するものだった。
この3つの即興曲が1837年から42年にかけて書かれた事実が私たちに語り掛けることは大きい。この時代のヨーロッパに渦巻いていた社会矛盾や、オーストリア、プロイセン、ロシアに分割され、1815年以降はロシア領に編入されていた故郷、ポーランドへのショパンの想いは彼の芸術活動の隅々にまで及んでいたと考えられる。湊谷も指摘しているように、オペラのアリアを思わせる歌謡調のフレーズが郷愁に彩られた曲想で繋がれている。しかし、その郷愁は決して感傷と同居するものではない。ある意味で時代に、世界に積極的に抗う骨格を備えたものだ。その秘められた抗いの想いが湊谷の打鍵の中に込められていたことに気付く。ヨーロッパはやがて1848年のあの革命の激流へと突き進んでゆく只中にあったことをも暗示する動的要因を孕んでいた。
これは次のショパン「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ変ホ長調」でさらに顕著となる。まさにspianato(落ち着いた、滑らかな)の流れから、輝かしいPolonqiseへと移行する曲想が示すのは単なる音変化の妙、社交界での舞踏への高揚だけではない。故郷を丸ごと包み込む抵抗の想いが描き込まれている。そしてその想いが巧みに織り込まれていた演奏であった。
この前半があったからこそ、後半のリスト「ソナタロ短調」はより深い陰影を刻み込むことができたといえよう。弱音が実に美しい。冒頭と終結部に刻まれる囁くような弱音が、様々に変容しながら巨大な物語世界を構成してゆく。ある意味でリストの全人格が投影されているとも考えられる世界。激しい、超絶技巧にのせて描かれるリストの華麗な曲想は演奏者にとっても最も自身を開示する局面だろう。しかし、リストが辿った屈折した人生行路や多様な作曲家や人士との交流の背景にある屈折した歴史、時代の苦悩はやはり彼の作品の中に濃厚に忍び込んでいる。湊谷亜由美のリスト「ロ短調ソナタ」はほとんど哲学的思索の積み重ねとも言える深い音色と、弱音にこだわった音構成でその秘められたリストの想いを見事に引き出していた。“鬼気迫る”と表現したくなるような凄絶さが流麗なピアニズムと同居している。強い印象を刻む演奏であった。(嶋田邦雄)

横田知子ピアノリサイタル
2016年10月20日(木) 19:00 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
ショパン:即興曲第3番変ト長調op.51、スケルツォ第3番嬰ハ短調op.39、ピアノソナタ第2番変ロ短調op.35『葬送』
シューマン:幻想曲ハ長調op.17
(アンコール)
ショパン:マズルカニ長調op.33-2、シューマン:トロイメライop.15-7
最も得意とするショパンとシューマンを携えて、横田知子氏がリサイタルの舞台に初登場した。変ト長調の即興曲で横田氏は、自身の内面を深く掘り下げるように精魂を傾け、静かな抒情を表情豊かに紡ぎ出す。まるで、そうすることによって作曲者の心に直接問いかけようとするかのようだ。続く変ロ短調のソナタでは、ショパンその人が憑依したかのような鬼気迫る演奏をみせる。とりわけ変幻自在なテンポ・ルバートは実に大胆で、フレーズの頂点目がけて一気に畳みかけるように加速し、次の瞬間深呼吸をするように緊張を解いて悠然と歌う。だがそこに作為の痕跡は一切見られず、ひたすら自身に乗り移った作曲者の心の命ずるままに演奏しているようだ。嬰ハ短調のスケルツォでも、まるで荒行に身を投じる修験者のように自身を追い込み、精神の破滅の瀬戸際に立つ作曲者の心を表現する。
シューマンの幻想曲もまさに入魂の演奏で、いかにもシューマンらしい旋律や和声を巧みに際立たせ、作曲者の心と一つになったかのように一心に弾き続ける。とりわけ終楽章では、光輝あふれるハ長調の和声の彼方に、遠からず訪れるシューマン自身の破滅の予感が響いているようにさえ思われた。
帰路につく聴衆の胸の内で再び鳴り響いたのは、ショパンかそれともシューマンか。忘我的ともいえる心の籠った演奏を通じて遠い昔の異国の音楽家の心の中を垣間見たような、そんな得難い体験はをした一夜であった。(音楽ライター:北川順一)

田野倉雅秋&内田朎子~秋に燃える究極のクロイツェル!
2016年09月30日(金) 19:00 日本基督教団 天満教会
バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV.1006(田野倉)
リスト: 『献呈』、『アヴェ・マリア』、『ペトラルカのソネット』第104番(内田)
ベートーヴェン: ヴァイオリンソナタ第9番イ長調op.47『クロイツェル』
(アンコール)
クライスラー: ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
前評判の高かった演奏会、まずは田野倉氏のバッハ。持ち前の美音にいささかも溺れることなく、峻厳なリズムで、バッハの旋律美を表情豊かに描き出す。静かな情熱が終盤に向けて次第に高まっていく様子も、とても印象的だ。
内田氏のリストは、もはや名技性にはこだわらず、さりとて過度の情緒に耽溺することもなく、これまた非常に美しい音で、リストの抒情性を余すところなく描出する。
そして圧巻のクロイツェル、田野倉氏は内田氏と肩を並べるように立つ。ソリストとしてピアノの前に君臨するのでもなければ、向かい合って互いの技術を競うのでもない。そこにあるのはきわめて親密な合奏の喜びであり、もはや聴衆の存在すら気にかからず、ひたすら二人の世界に没入しているかのようだ。それでいてその音楽は、なんと雄弁にわれわれの心を揺り動かしたことだろうか。
トルストイをも熱狂させた激情あふれる第一楽章、緊迫感に満ちた厳しい演奏だ。第二楽章では小川のほとりを散策しているかのように歌い交わす二人の抒情が、この上なく美しくて楽しい。そして第三楽章は、ときに火花が散るような激突の瞬間を幾度となく経て、ともに逆巻く怒濤のように駆け抜けていく。
互いに尊敬し合う演奏家の白熱の現場に立ち会えたわれわれは、とても幸運であった。「まさに『究極のクロイツェル』だったな…」この日天満教会を訪れた全ての人々の胸に深く刻まれ、いつまでも語り継がれるような素晴らしい演奏会であった。(音楽ライター:北川順一)
