
♪コンサートレポート
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松村英臣ピアノリサイタル ~情熱と哀愁シリーズ②ベートーヴェン
2016年05月20日(金) 19:00 日本基督教団 天満教会
ベートーヴェン: ピアノソナタ第8番ハ短調op.13『悲愴』、ピアノソナタ第14番ハ短調op.27-2『月光』、ピアノソナタ第23番ハ短調op.57『熱情』
『悲愴』『月光』『熱情』といった有名曲は、ともすれば「良く知っている曲だから」という安易な感想が聴き手に作用しかねない。しかし演奏者は皆楽譜を丹念に読み込み、作曲者の人生に思いを馳せながら、真正面から曲と向き合い、新たな表現の可能性を探って本番に臨む。われわれ聴き手はそうした演奏者の努力を介して、あらためて作品の内奥に迫り、新鮮な感動を覚えるのである。
これらの曲は皆短調に始まり、短調のままに終わる。深い絶望と激しい怒りを宿したこれらの曲に、当夜の松村英臣氏は、聴き手にも相当な緊張を要する渾身の演奏で挑んだのであった。
『悲愴』-装飾音の扱いなどは古典的な様式観に則り、その上で、古典派の枠に収まりきらない激越した表現をぶつける。束の間の憩いというべき第二楽章の淡々とした美しさが、かえって両端楽章の絶望と怒りの表情を増幅させる。
『月光』-第一楽章は比較的速めのテンポで、過度の情緒に耽溺せず、まるで葬列のように淡々と進む。やはり淡々としたメヌエットのあと、終楽章では『悲愴』にも増して激しい怒りが荒々しい分散和音となって上へ下へと駆けめぐる。
『熱情』-不安と緊張を孕んだピアニシモと、拍節を外して激昂したフォルティシモ、その表現の振幅は相当に広い。第二楽章も前二曲と同じく感情を込めずにあくまで静謐に演奏され、背後に迫る容赦ない絶望が暗示される。そしてフィナーレ、逆巻く怒濤のような主題労作を経て、最後のプレストでは、どれほどの困難があろうと自分はこうやって生きていく、そんな絶望とない交ぜの固い決意が昂然として響きわたる。
当日は五月にしては暑い一日であったが、松村氏の演奏はそれにも増して熱く激しく、雄弁であった。悲劇的な曲調とは裏腹に、明るく朗らかな氏の人柄がうかがえる楽しい語りもあいまって、われわれは非日常的で実り豊かな音楽の夕べを享受することができたのであった。(音楽ライター:北川順一)

持田 洋フルートリサイタル
2015年10月27日(火) 19:00 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール
福島和夫:冥、「中有」から3つの小品
モーツァルト:ソナタ ト長調K301(293a)・ホ短調K304(300c)
ブラームス:ソナタ 変ホ長調op.120-2・ヘ短調op.120-1
漆黒のイメージの音空間、美しくも底知れない闇の響き・・・毎回、明瞭なテーマを軸にプログラミングする持田 洋(敬称略)、今日のテーマは一体何なのだろう。
彼が選んだのは、編曲でモーツァルト2曲、ブラームス2曲、それにオリジナルで無伴奏の福島和夫が加わる。
持田 洋は、桐朋学園大から国立マンハイム大へ渡欧、ハンブルグ音大ではベルリンフィル首席の巨匠ツェラーの薫陶を受けた。帰国後の1984年、没後10年で結成された斎藤秀雄メモリアルコンサートでは首席フルート。現在のサイトウ・キネン・オーケストラの出発点で、小澤征爾が振るドンキホーテ冒頭の輝かしいフルートは、持田 洋だ。
持田 洋のリサイタル、芸文小では3回目らしい。最初は今から8年前だろうか。R.シュトラウスにフランクという、名にし負うVnの大曲をフルートに移し変えて、上野真のピアノを相手に、雄渾に吹き切った。往年の大フィルのHr服部さんやCl小林さんといった、盟友の顔ぶれも場内に見える。持田洋の堂々たる風格は、さすが朝比奈黄金期の大フィルトップ奏者だ。
次は6年前、「バッハと20世紀」と題され、小林道夫Cemb、林裕Vcとバッハのフルートソナタを中心にしたプログラム。印象的だったのは、前半の無伴奏。ヴァレーズ比重21.5にジョリヴェ5つの呪文。暗転したスポットだけの空間に、鋭角でひんやりとしたフルートの響きが突き刺ささり、無伴奏フルートの真髄を体現する。
そして今回である。プログラムは、実に凝った流れだ。福島和夫「冥(めい)」に始まり、モーツァルトのVnソナタK.301のFl編曲。ブラームスのClソナタ2番のFl編曲。後半も福島和夫「中有(ちゅうう)←49日のこと」から3つの小品に始まり、モーツァルトのVnソナタK.304のFl編曲。ブラームスのClソナタ1番のFl編曲。入念に準備され、ピアノの入谷幸子とは数十回の合わせをしたらしい。持田 洋の自宅スタジオは苦楽園の高台、宝塚の入谷さんは大変である。
持田 洋は、半世紀フルートと向き合って、辿り着いたのがブラームスだという。
「2番1楽章の最後は、終わるのだけどまだ終わりたくない、ずっと続いてほしいもどかしさ、言いたいことが最後まで口に出せなかった後悔のようなニュアンスで」と持田 洋は言う。持田 洋の描く例えようのない寂寥感、孤高の世界観は、「孤独だが自由」だったブラームスの精神そのものだろうか。続く2楽章の悲痛だが憂いを帯びた美しい響きに、胸が締め付けられる。ハンブルク出身のブラームスを、ハンブルクで学んだ持田洋が描く空気感は彼ならではだ。
アンコールは、グルックのオルフェとエウリディーチェから精霊の踊り。冥界に妻を取り返しに行く物語である。つまり「あの世」で踊ってるってことね。リサイタルの翌日は、持田 洋の母の命日でもあるという。リサイタルは今年逝去した、友人へのオマージュでもあるらしい。残された者が、親しい人の「死」によって、自らの「生」を意識する。多くの門下生に囲まれる華やかな持田洋が、孤独を描くというのも不思議だが、かえって明暗の濃い、翳の深い表現は説得力があり、非凡だ。喪失感、諦観から導かれる「無常迅速」は、まさに「冥」なのだ。
2015年12月22日いずみホールで、主宰するフルートアンサンブル「シリンクス」のメンバー11人との定期演奏会が、もう24回目らしい。ここでは彼は指揮者として、また別の顔を見せる。日本センチュリー首席チェロ・北口大輔を迎えての、音楽の捧げものなどを中心に、実に凝った内容となっていて見逃せない。
彼、持田 洋の人生の軌跡は、そのまま芸術の深化となって昇華されているのだ。(Tのつぶやき)
